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「望郷の牛」制作風景  →完成作品 →English
(PDF)

福島県の飯館村(→酪農家・長谷川健一氏の『現代農業』記事)や、和歌山県の煙樹ヶ浜の牛(昨年の台風12号で約500頭の牛が流された)等の映像を参考に、構想を練ります。 福岡の「堀ちゃん牧場」にデッサンに行きました。二年前に取材した隠岐の島安部さんの牛、山古志村の田中さんの資料も参考にし、斜め上をみあげているシルエットにしました。
シンプルな心棒をまず作ります。それから地面にチョークでデッサンし、シルエットを確認します。 心棒に基本的なラインをつけたところ。手が何本もないので、椅子を利用しながら鉄を固定して溶接します。

13mmの鉄の棒は、なかなか曲がりません。熱っして叩きます。まず、蹄から制作。牛は馬と違って蹄が縦に割れています。 角と尾は、力強く表現したいので、溶接で厚みのある面に仕上げます。時間がかかります。
目をつけるかどうかは随分迷いましたが、この作品は眼差しが重要だと考え、目を制作しました。 アーク溶接で仮どめした結節点を、ひとつひとつガス溶接でつなぎ合わせていきます。火花で小さな火傷が絶えません。
全体像ができました。着色するかどうかも悩みました。最初に浮かんだイメージは白い彫刻でした。ですが、鉄の質感の美しさも捨てがたいのです。 今回はコンセプト重視で、マットな白に仕上げることにしました。カシュー密着材を塗布して、塗装をします。カシュー、軽石粉を使います。
漆の質感は大好きなのですが、かぶれる体質なので使用できません。カシューでもかぶれるので(涙)完全防備で塗装にのぞみます。 軽石粉のおかげで、もったりした感じにしあがりました。ほぼイメージ通りです。完成作品「望郷の牛」2012年8月に福島県波江町の「希望の牧場」に寄贈予定
(おまけ)国展展示計画用の1/20模型。溶接棒で作ったら、溶けやすくてやりにくかったです。針金を溶接した方がよかったです(展示が終わった後は、処分します)

12.2.27 九州大学 知足美加子

この作品を出品していた国展(国立新美術館)最終日に福島県浪江町「希望の牧場」の吉沢正巳さんが会場に来て下さいました。この作品を希望の牧場にこの作品を寄贈できることになりました。作品は無償、運送代は私個人で用意します。吉沢さんは残された牛達を、「生」のために生かしているのです。牛達の存在と命そのものが、強い社会的なメッセージになっています。国展と同時期に希望の牧場の写真展が開催されていました。吉沢さんのご説明をききながら写真を拝見し、やり場のない痛みで胸が苦しかったです。
2012年の8月に寄贈します。

写真展チラシ(pdf裏表)吉沢さんの記事(atプラス12号 2012年5月 pp.88-99)

国展会場の「望郷の牛」の前で吉沢さんと。

警戒区域からのSOS「希望の牧場・ふくしま」写真展〜小さなふくちゃんが教えてくれたこと〜、のポスター写真。

会場風景です。たくさんの人が訪れていました。
子牛の時につけていた紐が、成長とともに頭部に食い込んでしまっています。 牛にも感情があり、涙を流すそうです。人間を信じてよってくるとのこと。 ミイラ化した牛達を、運んだ後の牛舎。

2012年8月6日に、国展(国画会)に出品した作品「望郷の牛」を、福島県浪江町の「希望の牧場」に寄贈しました。代表の吉沢さんが「演説の時に連れていったり、この彫刻を積極的に役立てますね」とおっしゃってくださいました。労力と心をこめた作品が、この場で新しい意味をもって生きることを実感し、私の方が元気づけられました。吉沢さんは原発建設そのものに異議を唱えてきた方です。彼の手記をお読みください。→PDF(atプラス12号 2012年5月 pp.88-99)

浪江町の景観は美しかったです。残された虫や鳥、動物、植物は、今も当たり前に自然の営みを刻んでいました。この町を去らなければならなかった方々の思いは想像を絶するものです。原発事故は人災です。突如として降り掛かり、数えきれない人々の人生を急変させました。事故に対して「責任をもつ」ことの意味を考えながら、波江町を後にしました。

*現在「希望の牧場」のライブカメラ1号機でトラック上に設置されている「望郷の牛」を観ることが可能です。→HP右側にライブカメラ1号機へのリンクがあります。

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