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■2014年8月、福島県浪江町「希望の牧場」からヒロシマ、ナガサキへ

→画像は希望の牧場HPより引用

 2012年に福島県浪江町「希望の牧場」に寄贈した作品「望郷の牛」が、1425kmの旅をします。希望の牧場代表の吉沢正巳さんが、けん引トーレーラーに作品をのせ「原発を乗り越える社会」を訴えます。福島と広島と長崎をつなぐ長い旅です。吉沢さんは、震災後に牧場の牛を殺処分せず、生かし続けることで原発に依存する社会に異を唱えています。

 私が作品内部を虚空間にしているのは、何もない空間にこそ、様々な命の気配や想念を込めることができると思うからです。「望郷の牛」は、私の作品の中で(公開されながら)最も移動したものではないかと思います。彫刻がこのような形でお役に立てることに、私自身が驚いています。まさに作品が一人歩きしていることを感じました。鎮魂と、力強い未来への提言の旅を始められた吉沢さんを、心から応援申し上げます。詳細は、希望の牧場HPをご確認ください。→HP

■2012年、福島県浪江町「希望の牧場」への「望郷の牛」寄贈風景

福島県双葉郡浪江町立野春卯野157)→作品、→制作過程

2012年8月6日に、国展(国画会)に出品した作品「望郷の牛」を、福島県浪江町の「希望の牧場」に寄贈しました。代表の吉沢さんが「演説の時に連れていったり、この彫刻を積極的に役立てますね」とおっしゃってくださいました。労力と心をこめた作品が、この場で新しい意味をもって生きることを実感し、私の方が元気づけられました。吉沢さんは原発建設そのものに異議を唱えてきた方です。彼の手記をお読みください。→PDF(atプラス12号 2012年5月 pp.88-99)

浪江町の景観は美しかったです。残された虫や鳥、動物、植物は、今も当たり前に自然の営みを刻んでいました。この町を去らなければならなかった方々の思いは想像を絶するものです。原発事故は人災です。突如として降り掛かり、数えきれない人々の人生を急変させました。事故に対して「責任をもつ」ことの意味を考えながら、波江町を後にしました。

福島県双葉群浪江町「希望の牧場」・吉沢正巳さん

希望の牧場の吉沢さんはスタッフの針谷さんと共に、今年の5月に開催された国展に足を運んでくださいました。私も近くで開催されていた牧場の写真展を拝見しました。 福島空港に到着。浪江町だけでなく「福岡エルフの木」で野菜寄付支援を続けている白河市、郡山市、いわき市にも訪問します。福島は美しい山並みに囲まれており、活気があります。会う方々も穏やかで優しい人ばかりでした。 レンタカーで移動途中、仮設住宅の表示が目に入りました。

警戒区域の民家は、昨日まで人がいたかのようです。野鳥や猿などには出会いますが、人影が全くありません。道路ではパトロール中の警官や復旧工事の方々とすれ違います 飯舘村方面から浪江町に向かいます。道の駅の看板に牛が描いてあり、畜産がさかんな地域だったことがわかります。 浪江町に近づいてきました。一日外にいる場合の線量限度は毎時0.6マイクロシーベルト程だそうです。線量は原発からの距離に比例するのではなく、移動中上がったり下がったりを繰り返しました。
美しく穏やかな佇まいの町並みです。田んぼの雑草が高いことに、時間の経過を感じます。 希望の牧場」に到着です。スタッフの金子さんが自転車で門まで来て下さいました。希望の牧場は福島第一原子力発電所から14kmのところにあります。 ここの線量は毎時3〜4マイクロシーベルト程あります。原発から20kmのいわき市は、この日0.1マイクロシーベルトでした。線量が距離に比例していないことがわかります。
希望の牧場さんからいただいた、Tシャツを着ています。思った以上に牛が痩せているようです。 牛達ののどかな風景が広がります。画面の向こう側に見える地割れは、地震の時にできたものです。被害のすごさが伝わってきます。 かわいい子牛をみつけました。これ以上牛の数を増やさないよう、牛達に避妊手術を続けているとのことです。
現在、牛の数は約400頭です。近隣からの牛の受け入れが続いています。 希望の牧場代表の吉沢さんです。トラックの下に水飲み場があり、HP内でこの風景がライブ中継されています。 コンテナ車が到着しました。雨の中、人力で積み降ろしです。
希望の牧場のスタッフの方々です。地に足がついているような力強さを感じました。近々、HP内のライブカメラに映る場所に、作品を移動するとのことです。 牧場の愛犬が、彫刻の前に座って守ってくれているよう。この犬は愛してくれる主人がいてくれます。警戒区域にいたペット達に思いを馳せました。 希望の牧場の事務所で「なみえの子どもたちの想い」というアンケート(平成24年4月)を拝見しました。
「放射能がなく、二度とこのような事故がないようにしてもらいたい。もとの浪江町になってほしい」 「もう一度、自分がかよった波江小学校に行って、クラスの中を見たい」 「かぞくみんなですごしたい」「かえっていえをつくり、家族とくらしたい」

*現在「希望の牧場」のライブカメラ1号機でトラック上に設置されている「望郷の牛」を観ることが可能です。→HP右側にライブカメラ1号機へのリンクがあります。

「望郷の牛」

12.8.8 九州大学 知足美加子

福島県浪江町にある「希望の牧場」の3.11以後の1年半の軌跡が記された本があります。警戒区域内の生き物たちの現状と吉沢代表の思いが、針谷さん(APF通信、希望の牧場スタッフ)の鋭い写真と文章で綴られています。→針谷勉『原発一揆』

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福岡エルフの木」支援先訪問 2012年8月5日〜7日 (九州大学芸術工学研究院 知足美加子)

福島県白河市RACCO・辺見間智子さん/たんぽぽサロン・永野美代子さん

「福岡エルフの木」で野菜寄付支援を行っている福島県白河市の母子支援室まごころの辺見間智子さんです。(出張助産師・思春期保健相談士)女優の南果歩さんに似てらっしゃいます。 建築家のご主人(→辺見美津男設計室HP) が、古い蔵を活かして設計された事務所兼「育児サークルRACCO」の会場です。センスが行き届いた、本当に素敵な空間です。

近くにある南湖公園は、松平定信が造園した日本最古の公園です。那須連山を借景とした美しい景観です。

辺見ご夫妻は、震災後家庭菜園をやめ、ニホンミツバチによる養蜂を始めたそうです。この日は半年かけて集めた蜜をごちそうしてくださいました。 実は、私もニホンミツバチに大変興味をもっており、将来英彦山に養蜂箱を置いてみたいと思っていました。辺見さんの蜂蜜、さっぱりとしてとても美味しいです。 お手製の夕飯をごちそうになりました。お義姉様は調理師とのこと、抜群に美味しかったです。旅の疲れが吹っ飛びました。震災や原発のこと等、みなさんの含蓄あるお話に深く共感しました。ご主人設計の仮設住宅(地元の木材を使用。玄関を向かい合わせにする等)は避難されている方に貢献しているとのことです。彼の「フクシマからの提言」は今後の日本の指針です。→PDF
同じ白河市にある、NPO法人子育て環境を考える虹の会の永野美代子さん(保育士)が主催する「たんぽぽサロン」を訪れました。ファミリーサポートセンターの小林さんが、自宅を開放して下さっているとのことです。手作りの玩具や用具から、子供達の息づかいが伝わってくるようです。 以前、辺見さんが福岡エルフの木の寄付野菜を、たんぽぽサロンさんに運んでくださったことがあります。その際、お礼としていただいた色紙は、現在伊都安蔵里に飾ってあります。原発の距離と、放射線線量は比例していません。その中での子育て(食材の選択や洗濯物の干し方等も含めて)は母親の自己判断に任されており、心理的に大変な負担です。永野さんや小林さんのお話には、深く考えさせられました。 放射能に関する考え方の温度差から、コミュニケーションにおいて様々な苦悩が生まれること。腹を割って話せないことのつらさ。何を信じればいいのか、いつまで続くのか、答えがでないまま続く毎日。そのしんどさは想像するに難くありません。少しでも安心していただくために、たんぽぽサロンさんにも月に一度、野菜を送ることになりました。

福島県郡山市助産室MUNAKATA 郡山市医療介護病院・宗形初枝さん

「mama’sサポート助産室MUNAKATA」を主催されている宗形初枝さんです。瞳の美しい方です。宗形さんのご活動について新聞記事のリンクをお読みください。→信濃毎日新聞記事 宗形さんが勤める郡山市医療介護病院です。震災後は、たくさんの被災された患者さんを受け入れたとのことです。

原病院長をはじめ、伊藤事務部長、島野企画調整課長、橋本看護科長など、多くのスタッフの方々が迎えてくださいました。お忙しい中ありがとうございました。

浪江町に向かう私に、スタッフの方々が地図を下さり、ルートの確認をして下さいました。どの方もとても親切で、本当にありがたかったです。宗形さんは浪江町まで同行してくださり心強かったです。 病院内のリハビリテーションのお部屋です。木目を活かした広々とした設計で、とても居心地のよい空間です。 スタッフの方です。ご自身が小さなお子様を子育て中とのこと。野菜のお礼を伝えてくださいました。
病院の駐車場に、ホールボディカウンタがありました。放射能の内部被曝線量を調べる全身測定装置です。現在、郡山市の中学生が測定を行っています。 ちょうど測定が終わった郡山市の中学3年生です。保護者の方が「未就園児や小学生の測定を先にしてあげてほしい」とおっしゃっていました。 浪江町までの往復路、宗形さんからたくさんの考えさせられるお話を伺いました。母子のみ他県に避難したものの、父親不在のため子供が不安定になり、再び福島に戻ったご家族のお話など。一律の価値観では判断できない様々な事情が各家庭ごとに存在します。宗形さんの記事も載っている「震災・原発事故と福島の女性たち」という冊子をいただきました。購入できますので、関心のある方は以下に申し込んでください。(郵送料込み600円)

編集委員会 tel/fax 024-557-9383 →メール


福島県いわき市NPO法人コミューン・草野祐香利さん

助産師のコミュニティ団体、NPO 法人「コミューン」代表の草野祐香利さんです。朗らかで笑顔の素敵な方です。コミューンは、明るく清潔でいい香りがする空間でした。 助産師の方々が、運営も事務も調理等もマルチに担当されていることを知り、驚きました。みなさん優しさとタフネスをお持ちです。ご両親が浪江町から避難されている岩崎さんが、道を教えてくださいました。

いわき市は、夏祭りの最中で、とても活気がありました。いわき市は原発事故の際、風にあり放射能の空間線量が比較的低いのです。(この日は毎時0.1マイクロシーベルト)そのため福島県内でいわき市に引っ越してくる家族も多いそうです。

震災関係で心身にサポートが必要な妊産婦さんを受け入れていますが、その経費は様々な補助に支えられているとのこと。福岡エルフの木の野菜支援も役立っていることを知り、とても嬉しくなりました。 本棚に野菜と共に送付した寄付絵本がありました!福岡エルフの木の寄付箱を手作りしてくださったcrognacさんが、mamoruken project を通して寄贈された絵本です。 母乳検査の依頼に対応されているスタッフの方。母乳に含まれる放射能を測定するのだそうです。
コミューンの掲示板前です。コミューンは震災後、(辺見さんのご紹介で)福岡エルフの木が初めて寄付をさせていただいたところです。現地での対応に忙しい中、よく受け入れてくださったと感謝しています。福岡の春日助産院(長女を出産したところ)からも震災後すぐ新生児沐浴剤を寄付してもらったとのこと。ご縁を感じました。 帰り際、手作りの大学芋をいただきました。とても美味しかったです。滞在中の3日間、様々な方々から手作りのお料理やお菓子などをいただきました。どれも心身にしみました。私の方がたくさんのエネルギーをもらった感じです。福島の皆様、本当にありがとうございました。 彫刻寄贈先、福岡エルフの木支援先訪問についてのコメントは以下のページにまとめています。アクセスしてください

→支援先と支援者のコメント

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