彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。

2006年6月/7月/8月

8月3日
私が所属している芸術情報設計学科DVD.Web作りに関わっていて、このところスタッフ全員睡眠不足である。ようやく8/4のオープンキャンパスに公開できるようになった。制作期間が限られたこの1ヶ月、みんなよくやったと思う。→芸術情報HP

そんな中、木彫「寒立馬」が九大農学部実験農場へ旅立った。手塩をかけた作品は我が子のようだが、作品はいつも完成後一人歩きする。あの作品を通じて、観る人々の様々な想いが交差してほしい。

こちらからは作品を工房のクレーンで積んだが、農場ではバックホーで降ろしたそうだ。さすが農場の機動力はすごい。農場内の古い山桃の樹の下に設置された。樹下の設置というのは、初めてのことだが、送られてきた写真をみて、その自然な光の具合が気に入ってしまった。中司先生は風雨のことを気にされていたが、もともと自然からいただいた素材である。いつか土にかえすのがいいと思っている。先に寄贈したばんばと共に、「人の心が通う場づくり」に貢献してほしい。

大学移転のあおりで、この実験農場も5年後には移らなければならない。その時は引き取るか、もしくは燃やした灰をこの樹の下に埋めようと思っている。

8月7日
8/4のオープンキャンパスが終わり、やっと自分のペースが戻ってきたような気がする。例年以上の来場者で、盛況だった。学科DVDもWebも好評で、ホッとしている。よかったのは、学科内部の相互理解が深まったことだ。→オープンキャンパス風景

親がきついと子供もナーバスになるようで、いつもにも増して甘えパワー炸裂である。しかし彼らの感覚と時間が、人間本来のペースなのだ。生命の現場を離れた感覚は、社会のスピードを加速する。子供たちのおかげで、見失わないものがあることに感謝する。

8月9日
たまっていた事務仕事を片づけると、昼食の時間はとっくに過ぎていた。昨日は体調が悪い長女が「大学に来たい」といい、しかたなく研究室見学である。研究室まで授乳に通っていた彼女にとって大学は特別なところのようだ。→夫の育児日記 「ザリガニの夢をみたから」と、何枚もザリガニを描いていた。意外な生き物にヒットする長女である。カラスをずっと大事そうに抱きしめていた。私にとって子供は発想のインスピレーションを与えてくれる、ミューズ神のような存在である。

3時頃から制作の時間がとれる。彫りながら「くちばし」の造形の美しさを実感する。ここはもう少し厳しく詰めていかなくてはいけない。

農学部実験農場に設置された寒立馬の様子が、中司先生から送られてきた。彫刻は野外にあるとき、大きく息をしているように感じられる。「土へ向かう感性」これが次世代のキーワードだと、私は思っている。毎日の雑事の中でも、この言葉はいつも心に木霊(こだま)している。

8月11日
先週の忙しさのつけで、子供が風邪のオンパレードである。今度は弟。研究室内のものを破壊されながら、仕事である。来週は盆休みに入る。
8月18日
久々に制作に集中できる。静寂の中で制作していると、魂が休息しているのがわかる。英彦山という場がなかったら、私は彫刻をやっていなかったかもしれない。盆に帰省し深く吸い込んだ山の濃密な空気が、まともな感覚を呼び起こしてくれる。

山伏だった知足院家は神仏習合である。お盆には50本ほどの竹に、自宅の花をいける。それらを経文と共に土葬された先祖の墓(自然石)に飾る。盆踊りは祖霊祭といわれる。会場の祭壇に祖霊が祀られ、榊(さかき)があげられる。その前でお囃子と笛・三味線を演奏し、ひとつの曲と踊りが延々と続く。「石童丸が、母をさがして....」と歌っているそうだ。初盆を迎えた方や神官も踊る。地元の女性の笠の後ろには、幣(ヌサ)がつけられている。これは死者が、笠をかぶった女性に降りて踊っていることを意味する。都市では夜店や人の賑わいがメインの盆踊りだが、本来は「死者と生者」が共に踊り、生死の境界を越える特別な時空間だったのだろう。

8月21日
制作が細部に入ってきた。作り込み過ぎずに全体の緊張感を高める、という「加減」が最も難しい。眺めては作り、そこを平鑿で落とし...の繰り返しである。

J-WAVEを聴きながら作業している。学生時代も木彫室でよく聴いていた。トークが少ないので楽だ。今は福岡でもネットで聴ける。テレビの報道は悲惨な気持ちをかき立て、悪を糾弾することに終始しているようでどうも苦手である。ラジオかネット新聞で事足りている。メディアが取り上げないところに大事なことが埋もれている。ブームにのせたものには、時代遅れというレッテルと忘却が待っている。

来年度から助手は「助教」となり授業をもつそうだ。(任期制はなし)芸術の体験を通して人間の霊性を高めることが、私ができる社会貢献だろう。芸術は「心」「魂」「霊」について、宗教をからめずに思索できる分野のひとつである。しかも現実の物質や人間関係に揉まれる「現場」があるので観念論に陥らずにすむ。現場を離れたら、どの学問も優勢思想と気楽な批判主義が蔓延する。

8月24日
中学1年生の時に石灰石で「軍鶏(しゃも)」を作った。なつかしくてお盆に実家から持ってきたが、子供から落書きされてしまった。汚れを削り落としているうちに、軍鶏の「垂直性」の美しさを思い出した。彫刻は、立つ(水平方向から垂直方向へ)という内的体験を繰り返し確認する芸術だ。

軍鶏のことばかり考えていると、闘鶏用軍鶏を育てている所に出会えた。退職後に趣味で養鶏されている方だったが「闘鶏軍鶏は忌み嫌われることが多くてね」とおっしゃる。賭博に関わるからだ。闘鶏によって両目を失った軍鶏がいた。地面を踏みしめる強さと悲哀が、すだれ越しの鶏舎にあった。制作してみたいと思った。

カラスを制作していても「なぜ(嫌われ者の)カラスを作るのですか?」とよく聞かれる。厭われるものを、意図的に作ろうとしているわけではない。単純にその中に美しさが存在するからなのだ。寒立馬もカラスも軍鶏も、過酷な環境を生き抜いている。その姿勢が、人間が死に至るまでに続ける「旅」の姿と重なる。

「シュタイナーの死者の書」という本を、今読んでいる。山伏の死生観に通じるものがある。「死というものから生を理解する」という思考に共感する。「生」とは魂の不完全さを償うために、自らが計画したものだという。過酷な「生」の現実を受け入れ美しさを見いだすことに、彫刻が力添えできればと考えている。

8月28日
長女が寝入りばなに「カラスはもう終わっていいよ」という。翌日眺めてみると、ほんとうにそうだな、と思えた。砥の粉に墨汁を少量まぜ塗布する。乾燥後、たわしでこする(写真)その後ワックス(東芝シリコーン)をかけ、布で磨く。→塗布後 岩絵の具(日本画顔料)での着色も考えたが、自然な質感がでているのでこれでよしとした。ネットでスキマスイッチを聴きながら作業する。(9/14までオンエア)日本にこんな感覚のpopsが存在するようになったのは嬉しい。

前述した「生と死の連続性」について論文と作品制作ができればいいと思っている。「困難」の意味づけを変容させ現実世界を生きのびるために、死者たちの視点が必要なのだ。修験道の根本を、今なら普通の感覚で伝えられるかもしれない。

>Buck