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講演会「未来につづく道」
第2回  普川 容子 氏  (特活)アジア太平洋資料センター理事
「世界貧困と債務の関係」
大地、生命、農業と芸術の融合による教育プログラム
(九州大学現代GPの一環として)現代GPホームページ

講演会案内 →講演のコメント →ちらし(表) (裏)  

普川氏

 皆さん、こんばんは。アジア太平洋資料センター(PARC)という創立35周年になる老舗のNGOの理事を務めております。この世界貧困と債務の問題という、日本社会では非常にマイナーなテーマのために足を運んでいただいたことに、まず感謝をしたいと思います。ありがとうございます。

 まず、貧困がどのようなレベルか皆さんご存じですか?数字でいうと、いわゆる極貧といわれている1日1.25ドル以下で生活する人は今、世界中に14億人いるといわれています。そのうちの8億人が毎日飢えの中で暮らしています。最近、食料価格が国際的に上がったことによって、プラス1億人がその飢餓の中に転落したといわれています。8億人プラス1億人で、今、この瞬間に9億人の人たちが飢えに苦しんでいるという状態にあるのです。毎日、1日1400人のお母さんたちが出産のために命を落としています。そして3秒に1人の子供が、予防可能もしくは治療可能な病気によって命を落としています。これほど命が軽んじられている時代はありません。9億人が飢餓に苦しむ一方で、10億人近くが肥満で苦しむ。このような格差のある社会は、歴史上始まって以来といわれています。そのような世界に、今私たちは生きているのです。

 この許し難いレベルの世界貧困を解決するために、先進国が国際的にやらなくてはいけないことは主に四つあるといわれています。その内の一つは、まず(1)援助を増額しなさい。いわゆるODAといわれる政府開発援助です。

 もう一つは、(2)貿易ルールを公正なものにしてください。現在の貿易ルールは先進国に有利になるように作られています。貧しい国も輸出入でもうけられるように、貿易ルールを変えてください、というのが二つ目です。

 もう一つは、(3)気候変動を何とかしてください。先進国の暮らしぶり、産業発展、工業化によって、地球環境はどんどん破壊されています。気候変動によって、いちばん負担をうけるのは貧しい人たちです。津波が起きれば、貧しい人たちがその津波によって命を失います。気候変動は田畑に影響を与え、農業従事者を苦しめます。その気候変動は先進国側の責任が大きいのです。それが第3点目。

 第4点目が、今日お話しする(4)債務の問題の改善。債務というのは簡単にいうと借金の問題です。日本を含む先進国が貧しい国々にお金を貸す、これを債務と呼びます。以上この4点が国際的に、先進国の責任として取り組まなければならないと言われていることです。

 世界で最も借金(債務)を抱えている国というのが、アフリカを中心に41か国あるといわれています。その41か国のほとんどアフリカですが、これらの国に最もお金を貸し付けている国はどこだと思いますか。日本なのです。5割近くを日本が貸しています。アメリカかドイツだとおっしゃる方が多いのですが、大部分を日本が貸し付けているのです。文句なしのトップです。その次に、フランス、ドイツ、アメリカという順番になっています。

 どうして貧しい国が先進国に借金をしているのでしょうか。貧しい国々への援助であるODAは、贈与ではないのです。援助額の半分弱が贈与ですが、あとの半分は貸し付けなのです。実は、援助というお金は「貧困を解決するために使ってください」とあげているのではありません。お金を貸しておいて「これをプロジェクトに利用し、儲かったら返してください」というものです。援助として差し出されたお金が、途上国の借金となって残ってしまったというのが現状なのです。

 皆さん、ODAが借金だということを知っていた人、どのぐらいいますか?ヨーロッパ諸国の援助は基本的には贈与ですが、日本の場合は50%以上が貸し付けであり、債務国から利子を取って返してもらっています。

 豊かな国々にお金を返すことの負担は、想像以上に大きいのです。1985年に世界的に有名なミュージシャンが集まって「ライブエイド」というロックコンサートをやったことを知っている人いますか?“We are the world. We are the children.” 歳がばれますね。(笑)アフリカのエチオピアという国がひどい飢餓に見舞われたため、ミュージシャンたちがチャリティーコンサートを行ったのです。当時の日本円で280億円も募金が集まり、アフリカに送られたのです。しかし280億円という金額は、アフリカが豊かな国々に支払う借金返済額の、たった4日間にすぎなかったのです。280億円を募金としてアフリカに送ったとしても、たった4日間で借金の返済として先進国側に返ってきてしまう。これではいくら援助してもしかたがない。この活動によって先進国側は、債務の返済負担の重さを痛感したのです。

 アフリカの国々というのは(お金の意味で)非常に貧しい。債務の大きな問題のひとつは、債務の返済を優先するために基礎的な社会サービスにかけるお金を削ることなのです。つまり貧しい国々の「教育」「医療保険」といったものを削って債務を返済することを強いるのです。先進国への借金返済を優先してしまったという背景があるのです。債務国は人間が生きていくための医療保健サービス、教育というものに国家予算の10%もしくは20%以下しか割けない状態です。国家予算全体の40%以上を債務返済に充てているというデータがあります。フィリピンもそうです。教育・医療保険に充てる国家予算は10%以下ですが、債務返済の割合は40〜50%です。

 このような債務の返済によって、資金の逆流現象が起きています。途上国に対する援助(ODA)のうち、日本がアフリカに新たに貸し付けるお金よりも、アフリカから受け取る返済額のほうが今や多いのです。援助といいながら、新たに貸し付けるお金よりも返ってくるお金のほうが大きいです。外務省が「ODA白書」を公表しています。援助実績というところを見ると、アフリカ向けの政府貸し付けはマイナスになっています。それは日本が援助といいながら逆に受け取っている現状を表しています。豊かな国が貧しい国から与えられる状況を生み出しているのが、債務なのです。

 私にとって、債務問題を知った時の一番ショッキングだった数字があります。もし、アフリカが債務の返済額を子供たちの医療・保険などに使った場合、命が救われる子供は1分間に13人もいると。逆に言うと、1分間に13人の子供たちが、債務によって命が奪われているのです。ユニセフは経済的にはもちろん、このような債務の取り立てはまず道義的に意味を成さないということで、怒りのコメントを出しています。これは、ユニセフだけではないです。女性問題を扱う国際機関やNGOは、貧困からの解放の戦いより債務返済を優先させること自体を、非常に問題視しています。

 タンザニア独立時にニィエレレという大統領がいました。教育熱心な元学校の先生です。タンザニアを独立に導き、アフリカでは最も尊敬されている大統領の一人でした。ニィエレレ大統領は常にこう言及していました。「私たちは自分たちの国の子供たちを飢えさせてまで債務の返済をしなくてはいけないのか。この状況は非常に問題である」

 どの国際会議においてもアフリカの首脳たちはまず「債務を何とかしてくれ。まず日本(債権国のトップ)を何とかしてくれ」と、開口一番に言います。私が国際開発問題にかかわり始めた頃、井戸を作るとか、学校のプロジェクトに携わりたいと思っていました。何度かアジアやアフリカに出かけていって、向こうの人たちと話す機会があった時にこう言われたのです。「容子、日本からわざわざ来て学校や井戸を作ろうとしてくれて、本当に頭が下がる。非常にありがたい。しかし、私達は債務を返済するために、学校を閉鎖しなくてはならない。まずこの現状を何とかしてほしい」と。借金を返す先は日本です。アフリカの人たちにしてみたら、日本の政府を動かすことなどできません。「日本政府に無謀といわれる債務の取り立てをやめさせるのは、あなたたち日本の市民しかいない。ぜひやってほしい」と言われたことがあります。非常にショッキングでした。ああ、そうなのか、自分たちには自分たちの国でやらなくてはいけないことがあるのだと思った記憶があります。これを契機に債務問題に向き合うことになりました。新聞やニュースでは途上国の債務問題は経済界の言葉で語られることが多いのですが、貧しい国の人々にとってみれば、日々の子供たちの命にかかわることだということなのです。その格差というのは非常に大きいです。債務問題というのは、金融とか経済を理解しないとわからないものではなく、途上国の人々にとっては自分たちの暮らしに直結している問題だということになります。

 さらに悪いことがあります。アフリカ、アジア、ラテンアメリカなど借金に苦しむ国々は、新規にお金を借りられません。もう返せないから繰り延べや取り消ししてほしい交渉をします。そういう場合日本などの貸している側は「構造調整をしなさい」という条件を出すのです。構造調整とは何かというと、端的に言えば小泉首相がやった構造改革と似たものです。つまり返すお金を捻出するために、政府(税金でまかなう部分)をできるだけ小さくし市場に任せるのです。余計な国家予算を削り、浮いた予算を債務の返済に回しなさい。もしくは市場を解放してできるだけ輸出で儲け、そのお金で借金を返済しなさい、というような条件を付けるわけです。これが構造調整といわれるものです。イギリスのサッチャー首相(80年代)、アメリカのレーガン大統領もこの構造調整を自国に対して行いました。途上国は、日本を含む先進各国から債務のために構造調整をやりなさいと条件を付けられるわけです。

 構造調整とは、具体的にはまず政府の支出を減らすための「民営化」です。次に「医療保険・教育費用のカット」です。これらが特に貧しい人々の生活に打撃を与えます。先ほど申し上げたタンザニアは、ニィエレレ大統領が学校の先生出身だったこともあって非常に教育熱心な国なのです。アフリカでは珍しく、70年代後半には、小学校の就学率が100%だったのです。途上国では、ほとんどありえない数字です。でも、債務で首が回らなくなり構造調整を押しつけられた結果、教育費をカットせざるを得なくなりました。小学校が有料になってしまったのです。これから経済発展するというときには教育がいちばん必要不可欠です。タンザニアは構造調整の結果、小学校が有料化していきなり就学率が70%にまで落ちてしまった。非常に高かった識字率も落ちました。タンザニアに限らず、病院が有料化になったり、医療サービスがなくなったりしています。構造調整としてはこれら以外に「政府からの補助金のカット」があります。貧しい国々では、最低でも貧困層がパン、小麦、ガソリンなどの生活必需品を安く買えるように、政府が補助金を出して価格を低く抑えていました。構造調整の結果政府の補助金が打ち切られ、生活必需品の値段が高騰しました。例えば、1996年のヨルダン。パンの価格がいきなり2.5倍に。あるいは、1991年のペルー。たった一晩でガソリンの値段が31倍。パンの値段が12倍にもなった。1989年のベネズエラ。ガソリン価格が非常に上がり、公共交通料金も値上げされて、ベネズエラの市民が怒り、3日間の大暴動になりました。(公式発表で死者300人)それ以外にも構造調整を受けてパンやガソリンの値段が上がった国々では、抗議のデモや暴動が相次ぎました。

 構造調整(Structural Adjustment Policies)は、略語でSAP(サップ)と呼ばれています。特にアメリカのひざ元の南米の人たちは「SAPはもうこりごりだ」とよく言いますね。いちばん近い例だと1996年のアジア通貨危機の時に、韓国が大変な経済危機に陥りました。韓国は構造調整を条件にIMFという国際機関から短期に融資を受けたのです。韓国は公共のセクターが強い経済だったのすが、いきなり民営化を行ったために、たくさんの労働者が失業してしまったのです。ヨン様(ペ・ヨンジュン)ファンなら知っているかもしれませんが、彼が労働者の役をやっていたドラマで「IMFは何をするのだ」というせりふがありました。それくらい一般の人たちがIMFに押しつけられた構造調整に対して困っていたという状況があります。日本はもちろん構造調整を支持していました。日本は構造調整を条件に途上国にお金を貸し付けている側なのです。

 さらに構造調整の一つに「関税をなくしてしまう」というものがあります。日本の場合だと、お米に700〜800%の非常に高い関税をかけて、外国から安いお米が入ってきて日本の米農家が打撃を受けないようにしています。高い関税をかけてお米を守っているのです。各国も関税をかけて、自分たちの主要な食物というのを守ってきました。しかし構造調整というのは、その関税を全部なくしてしまいなさいという圧力をかけます。その結果、特に南米の国々はアメリカ産の安いとうもろこしや安い米、あるいはEUの安い乳製品等が入ってきて、自国の農業もしくは畜産業が壊滅的な打撃を受けてしまった。皆さん、ハイチという国をご存じですか。中南米の小さな島国で非常に多くの借金を抱えています。そのため80年代に構造調整を受けて、米などの関税を全部なくされてしまったのです。結果として、アメリカ産の安い米に太刀打ちすることができなくなり、ハイチ国内の米農家はほとんどいなくなってしまった。そして最近の食糧危機で何が起こったか。食糧危機によって米の値段が非常に上がりました。貧しいハイチはその高くなった米をもう輸入することができないのです。米を輸入することはできない、自国でも米を作ることもできない。結局、米が全くなくなった状態になってしまった。ニュースで取り上げられていましたが、ハイチの貧しい人たちは米がないために泥のクッキーを食べている映像が流れていました。泥に水を混ぜ、それに小麦とお塩を少量混ぜて、焼くのではなく陶器みたいに干すのです。干してできた泥のクッキーを、ハイチの人たちは空腹を満たすために食べているのです。それが今の食糧危機の結果なのです。その食糧危機は、いったい何が引き金だったのか。それは構造調整を受けて自国の農業を守ることができなかったことが原因だったのです。このハイチの話を聞いて、状況としては日本も危ないと私は心配しています。このまま関税を引き下げて貿易自由化を進めていった場合、今後食糧危機の影響をもろに受けるでしょう。日本は借金を抱えていない、構造調整を受けていないとしても、事実上貿易問題によって関税をなくす圧力を受けていますから、このハイチの状況は人ごとではありません。

 構造調整というのは、関税を引き下げると同時に輸出をしなさいと言います。借金を返すために外貨を稼がなければいけない。つまり頑張って輸出をしなくてはいけないわけです。それで、南米やアフリカなどの天然資源が豊富な国々というのは、自国の熱帯雨林などを伐採して輸出しました。あるいは貧しい国々で人々は飢えているのだけれども、その飢えている人々の横で巨大なプランテーションで果物やコーヒーを作り、日本を含む先進国に輸出しているという状況が生まれました。インドやパキスタンのプランテーションは非常に広いのです。小農民たちは日々食べるのにも困っているのですが、そのプランテーションで作ったマンゴーをジュースにして、アメリカなど海外へ輸出するという状態です。私の連れ合いはODA関係の仕事をしているおり、先日タンザニアの開発プロジェクトの調査のために出かけました。タンザニアに壊れた船を廃棄する場所をつくるというのです。廃棄された船をタンザニアが処理し外貨を稼ごうという援助プロジェクトです。要するに、ゴミ捨て場を作って、外貨を稼いで、それを借金返済に回すと。それを開発プロジェクトだといっているわけです。これはちょっと矛盾なのではないかなと思った一つです。

 これらの構造調整があるために、債務は自分たちの首を締める鎖だと、よく途上国の人たちは言います。自分たちは、長い植民地支配が終わってようやく独立した。しかし自分たちの政府がすばらしい政府だとは全然思えない。債務によっていまだに自分たちは植民地下におかれているようだ。債務は自分たちを縛り付ける鎖だと。構造調整という名前で、関税や政策を変えなければいけない。自国で自分たちのことを決める自由、自分たちの政策を自分たちの手で選択する自由というのを奪われてしまっている。植民地とかわらないではないかというのです。債務は単にお金を貸しました、返してくださいという問題ではない。貸している側の力が強く、借りている側が弱い。そこには支配と従属の関係というものは生まれてきてしまう。これを現代の植民地支配だと言う人がいます。

インドに行って日本の援助をどう思うかと聞いたことがあります。「日本からの援助。そんなものいらない。どうせ金貸すだけだろう」と。援助といってお金を貸して、ふたを開ければ借りたお金で日本の企業が来て、役に立たないものを作って、借りたお金を結局日本企業に支払うことになる。日本企業がお金を持って去っていき、インドに残ったのは借金だけだと。そういうふうに怒る人もいるのです。もちろん役に立ったプロジェクトもたくさんあるという前提においてですが。でも、やはりアジアの多くの人たちは、援助は借款、貸し付けである以上、結局は自分たちの役に立たないことが多いと思っていることは事実です。

 どうしてここまで、債務というものが膨らんでしまったのでしょう。280億円(ライブエイド)がたった4日間で消えてしまうほどに。いろいろ理由はあるのですが、一つは、途上国側も非常に借りたがった時期があったのです。長い植民地時代が終わって、ようやく自分たちの国が独立を果たし、日本やヨーロッパのような工業国になれると考えました。今こそ大きな開発プロジェクトをやりたい。だけどお金がない。だから、たくさんお金を借りて、経済発展による近代化を進めたいと願いました。ちょうどその頃、貸す側にも理由がありました。1970年のオイルショックを覚えていらっしゃいますか。オイルショックによって産油国はお金がもうかったのです。もうかったお金をヨーロッパやアメリカの銀行に預けたのです。預けられた銀行は、大量のドルを持っていてもしょうがないので、どこかに貸し付けようとしました。しかし当時オイルショックのために先進国はみな不況だったので、なかなか借り手がいない。そこで独立後間もない、やる気満々の途上国にどんどん貸したのです。普通だったらリスクを考えるのですが、当時はスーツケースに札束詰めた銀行員がメキシコに飛ぶことがしょっちゅうあるというぐらい、安易に貸し付けが行われたのです。もちろん、国家というのは企業と違って倒産しませんから、リスク度外視で貸し付けたという背景もありました。そのために、いわゆる過剰ともいえる融資が行われてしまいました。

 融資先のプロジェクトとはいったい何だったのでしょう。これが最も問題なのです。非常にずさんな計画のもとに、利益を生まないプロジェクトが続出したからです。アメリカ議会の国際金融制度諮問委員会が「メルツァー報告」(2000年3月)を提出しました。それによると世界銀行がアフリカで行った開発プロジェクトの実に73パーセントが失敗だった、という報告が出ています。借金というのは、そもそも悪いものではないのです。融資を受けた事業が利益を生みきちんと返済できれば何ら問題はなく、非常に合理的な活動です。ですが債務に関しては、途上国にとって殆ど利益を生まないプロジェクトが大多数でした。失敗したプロジェクトによって返済が不可能なのです。企業の場合だったら銀行側が不良債権を抱えるわけですけれども、国というのは破産もしません。国としての信用にかかわりますから、絶対に返さなければいけない。破産しないという前提において、結局返せない借金ばかりが残っている現状が明らかにされました。

 他に悪名高い例を紹介します。コンゴ民主共和国(旧ザイール)は中央アフリカにある非常に豊かな国です。ザイール川という大きな川があり土壌も肥沃です。何より金やダイヤモンド、皆さんの携帯電話の中に必要不可欠なタンタルという希少金属を産出しています。問題は政治なのです。独立まもなくモブツ大統領という独裁者がいました。彼と非常に仲がよかったのは、元アメリカ大統領のブッシュの父です。どうして仲がよかったのか。ちょうど時代は冷戦時代でした。ザイールというのは豊かな鉱山資源がある国が共産化してはならない。ソ連(ロシア)を近づけてはならない。ということで、モブツがいくら悪名高い独裁者だと分かっていても、アメリカは彼を必死に援助し続けたのです。そのアメリカが貸し付けの一つとしてやった巨大プロジェクトに「インガ・シャバの送電線建設」があります。発電所から電気を必要とするプラントまで、1700キロの高圧電線を引いて電気を送ろうというものです。1700キロというと、鹿児島から北海道の網走の辺りまでの距離です。送電線って分かりますか?電車の上で電気を送っている線ですね。網走−鹿児島間の距離に送電線を1700キロもつくるわけです。送電線はアルミでできていますから、素人で考えても大量のロスが出ることはわかります。ロスを減らすためには、ハイレベルの高電圧を一挙に送らなければならない。こうして高電圧にすると、その1700キロ送電線下にある村々には全く電気は来ないのです。ただ、電圧線が通るだけ。何とも無駄遣いのプロジェクトなのです。送電線の電気の送付先はシャバ州でした。独立運動をしていたシャバ州に対して、モブツは経済基盤である電気を押さえておきたかったのです。もし独立に向けての不穏な動きがあった場合、即座にシャバ州の電気を切ってしまえる。これはモブツの政治的な思惑なのです。ただそれだけの理由で1700キロの送電線プロジェクトをやってしまった。

 請け負ったアメリカもアメリカですね。ちょうどその頃世界的に不況だったせいもあり、企業は目の色を変えて巨大プロジェクトを欲しがっていたのです。様々な国々が送電線事業に入札したのですが、パパブッシュが頑張ったおかげでアメリカが落札しました。16億ドルという巨額なお金をかけて、その送電線というのは完成してしまったのです。しかし送る先のプラントに問題があって、結局10パーセント以上も稼働しなかったのです。作った先の工場が稼働しなかった。三井物産も撤退しました。小規模に銅精製は行ったのですが、国内需要に合うような物を全く作れなかったのです。いったいこの送電線は何のためのものなのか。つぎ込んだ16億ドルという巨額なお金は、債務ですのでザイール国民が自分たちの税金で払い続けなくてはいけない。例えば10億ドルあったら、ザイールで20万人の先生か看護婦を20年間雇える金額なのです。その貴重なお金を訳のわからない送電線という物につぎ込んで、借金だけが残っている。

 他にも日本がからんだ同じザイールの「マタディつり橋プロジェクト」があります。石川島播磨工業が約350億円をかけて作りました。350億円という額は、たった1国の1つのプロジェクトに貸し付けるという意味では法外な値段なのです。そのマタディつり橋をつくるために石川島の社員の人たちは本当に頑張ったと思います。でも、全く役に立たなかったのです。問題は、橋だけを造っても橋を降りてから港までの鉄道がなかったのです。港と橋の間の輸送手段がない。もちろん、プロジェクト関係者もばかではありませんから、港から橋までの輸送手段がなければこの橋を造っても意味がないということは分かっていた。分かっていたにもかかわらず、インフレだといって鉄道を作らず橋だけ造った。その額350億円です。それはもちろんザイールの借金として残っています。しかも貸す段階において、ザイールが債務負担に陥っており返済が無理だろうという報告書がIMFから出されていたのです。だから、日本は350億円貸し付けても彼らには返す見込みがないということはほぼ分かっていた。なのに、貸し付けてしまった。実際、返ってきたのは約10億円で、そのほとんどが返済されなかったのです。要するに不良債権化した状態にあります。不良債権化すると、最終的には私たち日本人の税金で埋めることになります。

 フィリピンのバターン原子力発電所は地震の活断層の上に建設されました。造った後、1ワットも発電しないうちに「これはあまりにも危険すぎる」ということでお蔵入りにされました。この無意味なプロジェクトのために、フィリピンの国民は今でも借金を返済しています。2008年G8サミットの時に会ったフィリピンの人々が、「あのバターンの債務、もう払い終わったよ」と言いました。1ワットも発電していない発電所の借金を払い終わったと。私はショックを受けました。債務を生み出した巨大プロジェクトの全て失敗だったとは言いません。しかし本当にそれが人々のニーズに従って作られたプロジェクトなのかどうかというと、やはり疑問があります。

 私がインドに行った時、南インドにりっぱな高速道路ができていました。インドというのは非常に経済発展していますから、もちろんその高速道路は必要だったと思います。けれども、聞き取り調査を行うと、高速道路の西側に家がある貧しい農民は、畑が道路の東側にあるというのです。高速道路が真ん中に来てしまったら渡れないのです。自分たちの農地にどうやって行けばいいのでしょう。車の間をぬって何とか渡ろうとするため危険です。事故も非常に多いらしいです。貧農が多いこの地域において、その高速道路が地元の方々のニーズに従ったプロジェクトだったかどうかというと、はなはだ疑問です。彼らのニーズについて、いったい誰がどのような形で拾い上げ開発プロジェクトを実施したのか考えさせられます。その高速道路は結果として債務になっています。結局、その道路で分断された人たちの税金なり、教育なりが削られて返済されるのです。だから、地元の方々にしてみれば「自分たちは利益を受けたわけではない。逆に自分たちの生活がおかしくなった」と感じています。例えば巨大プロジェクトのダムなども同様です。ダムのために強制移転されられた人も多い。「私たちはプロジェクトから全然恩恵を受けていないにもかかわらず、その支払いの義務は自分たちにある」と。どこかおかしいのではないかと思います。

 もっとひどいパターンというのが、債務が武器などの軍備に使われたケースです。また債務が独裁者のポケットに入ったケース。フセイン大統領に対してロシアやフランス、アメリカなどがせっせと貸し付けました。しかしそれはフセインのポケットに入ってしまったのです。でも、借金は借金としてイラク国民の上にのしかかっています。日本の場合もそうです。日本はフィリピンやインドネシアに貸し付けました。援助もしましたが、フィリピンの場合、特にマルコス大統領の時代には、債務の約10%はマルコス一族の賄賂として消えたといわれています。インドネシアに至ってはスハルト大統領の独裁政権時代、開発にかかるお金の20〜30%は彼のポケットに入ってしまったという調査が出ています。

 軍事費や独裁者のポケットマネーというのも借金は借金です。それを国民たちが返さなくてはならないのです。例えば70年代の米ソ冷戦時代、アメリカとソ連が援助合戦をしました。当時の途上国の債務増加分の40%は武器に消えたといわれています。80年代に入ってもその状況は変わらず、債務増加分の15〜30%が武器輸入によるものだといわれています。米ソ両国は味方につけたい途上国に対して、最初は武器を無償であげていたのです。最初は無償ですが、最終的には輸出に切り替えます。途上国側としては武器が必要なので、債務によって武器を買うというシステムが生まれてしまったという背景があります。途上国にとっては、債務返済と軍事支出の二重の苦しみを受けていることになります。日本の場合は、軍事支出だとか武器に対する支出というのは制限していましたので、軍需に使用されるケースは非常に少なかったのですが。

 それ以外に借金が膨らんでしまった理由として、金利の問題があります。80年代は世界的に高金利時代だったのです。途上国というのは固定金利ではなくて変動金利(その時々の金利情勢で変動する金利)で借り入れていたのです。80年代のアメリカ大統領だったレーガンは、アメリカの経済立て直しのために高金利政策を導入しました。ドルの金利が高いとドルを持っていれば得だから、みんなせっせとドルを買いますよね。それで、結果としてアメリカにいっぱい資金が流入するというふうに見込んで、レーガンさんは高金利政策を取ったのです。債務はドル建てです。アメリカが高金利政策を取ったことによって、世界はドル通貨ですから一気に高金利の時代が生まれてしまった。途上国も高金利で返さなくてはいけない。約8〜9%の金利がついていたといわれています。例えば1万円を借りて、毎年1000円ずつ返すとします。無利子だと10年間でちゃんと返せますよね。9%だと何年間かかると思いますか。約30年かかるわけですね。債務に対して一番高いときには瞬間的に20%の金利がついたのです。これはもう最近のサラ金以上です。それほどの高金利を途上国は直撃してしまった。

 実際にアフリカはここ30年間で5400億ドル借りて5500億ドルは既に返しています。でも、まだ3000億ドルの借金があるのです。5400借りて5500返したけど、まだ3000億ドルの借金がある。これは全部金利のせいなのです。金利の影響というのは非常に大きいです。

 特にアジアの国々は、為替(レート)の影響が大きいです。アジアの国々は日本から援助としてお金を借りる場合、円借款といわれるように円で借ります。円で返さなくてはいけません。為替が変わると、もちろん返済額も変わってきます。例えば、私が1ドル100円の時代に100円借りたら、1ドル用意すればいいのですね。100円返すためには1ドル用意すればいい。それが、為替が変わって1ドル50円に下がったとします。そうすると、100円借りているから100円返すためには、2ドル用意しなくてはいけない。為替のために2倍のお金を返さなくてはいけないことになります。昔、1ドル350円だった時代というのがありますよね。それが、今や1ドル100円という時代なのです。もし当時借りたお金があるとすれば、現在の返済負担は3.5倍です。

 その為替のリスクは、借りた側が全面的に受けます。皆さんドルで借金したいですか。例えば、1000ドル借金し10年後に返すとします。為替が変動するとしたらどうしますか。怖いですよね。為替の影響で将来的には2000ドル返すことになるかもしれません。為替のリスクは非常に大きい。実際に為替は2倍以上変わり、債務負担額は2倍になりました。為替や金利の変動によるリスクというのは、すべて借りた側が100%負います。これは今でも議論になっていることです。借りた側というのは基本的に貧しい国々ですから、為替や金利の変動のリスクというのは、貸した側と借りた側の半々が負うべきではないでしょうか。借りた側の貧しさの状況を考えると、そのリスクを途上国に負わせるべきではない、という意見もあります。リスクがあれば途上国は自分たちの返済計画をたてることが難しくなります。

 現在の議論は、債務による人権侵害が中心になっています。債務返済のために人々が教育・医療費を削っています。子供の命を犠牲にして支払っている状況なのです。例えば日本の会社が倒産したとしても、従業員が自分たちの子供の教育費や食べる物を減らしてまで、会社の借金を返すことはありえません。皆さんは破産法で守られています。自分の命を含む基本的な人権を奪われてまで返済しなくてはいけない借金はない、というのが一般的な経済慣行なのです。当たり前のことなのです。でも、国と国との借金の契約においては、それが成り立っていません。基本的人権を侵している今の貧困レベルにおいても、債務返済が優先されている。要するに、基本的人権の考え方からいうと、今債務返済を強いるのは基本的人権侵害なのです。国際法に違反するという意味で、過剰な債務返済の負担を求めてはいけないという点が一つ。だから、返済不可能な債務は帳消しにしなさいというのが一つ。さらに帳消しにするときに、構造調整といった貧しい人々に大打撃を及ぼすような条件づけはやめましょう、という議論がおこっています。

 もう一つは、貧しい人々は債務から殆ど利益を得ていません。債務は利益を受けた人が返済するべきではないでしょうか。ケースによっては独裁者のポケットに入った独裁資本です。インガ・シャバの送電線のケースのように、結局は受注を受けて工事を行ったアメリカ企業やモブツ大統領が利益の多くを受けている。一般の人々は利益を受けていないのです。債務というものは「利益を受けていない人々から取り立てること自体が道徳的に反する」のです。そこで現在の債務が本当に人々の役に立ったのかどうかを監査し、それが人々の役に立っていない、国民の税金を使って返す必要性がないと判断された場合は、帳消しにすべきであるという議論がなされています。

 実際、フィリピンの国会は債務問題で注目を集めています。フィリピンの国家予算の40〜50%は債務返済に占められています。負担としては大きすぎます。マルコス時代やアキノ大統領時代の債務について、国民の負担で返す必要があるか検討されました。きちんとした借款契約と使用について、疑わしいケースが12件国会に提出されています。その12件のプロジェクトに関しては、監査が終わるまでは利子の支払いをとりあえず停止する、という法律がフィリピンの国会を通りました。その12件のうち、日本が融資しているものは5件ありました。

 貸した側からも唯一ノルウェー政府が動き出しています。2007年にノルウェー政府は、エクアドルその他5か国に貸し付けたお金の一部を無条件で帳消しにしました。ノルウェーは造船業不況で困っていた時期がありました。その造船業界を助けるために、途上国のニーズに添わない船というのを債務によって受注しました。つまり貸し付けたお金で途上国側から発注させたのです。これによってノルウェーの造船不況は一部救われました。しかし途上国側に債務は残ったのですよ。ノルウェー政府は、それは途上国のニーズに従ったものではなかった。それは、私たちノルウェー国の造船不況を助けるための貸し付けであって、彼らからそのお金を取り立てるのは不正である、と全面的に認めました。ノルウェー政府はその債務は帳消しにしました。自分たちの利益で勝手にやりました、ということを正式に認めたのです。

 これは私達NGOにとって非常に大きな動きでした。ボリビアなどの途上国は、債務削減、帳消しを、教育や医療に国費を回し始めました。実際にそれは貧困の削減に効果を上げています。ザンビアは、一部債務の返済の猶予を受けて医療サービスを無料にしました。そのザンビアの村の女性がロイターのインタビューを受けて、「もう夢のような、信じられないことです。お金がなくてもお医者さんに行ける。村のみんなに一刻も早く知らせたい。」と答えていました。債務の帳消しによって還元された資金がきちんと貧困削減に使われたら効果がある、ということは実証されています。

 2008年のG8サミットなどで、アジアの人たちがこう言っていました。「やはり日本はトップの債権者だから、この債務問題は何とかしてほしい」と。貧困をなくすためにお金は必要です。当たり前です。しかし、お金は足りないのです。貧困をなくすために必要な資金というのは、まず?債務を帳消しして予算を浮かすこと。それが大前提です。その次に?援助額を増やす。?航空税や環境税、為替取引税などの新しい国際的な税金をかけて資金を創出する。この3段階しかありえません。そのような議論が進んでおり、最後にご紹介した国際的な税金は、実際に動きが出てきています。だけど、その前提となる債務の帳消しについてはまだ進んでいません。援助の増額に関しても全く進んでいない状況です。NGOはこの間のサミットで訴えましたが、各国財源がないということで援助は贈与ではなく借金をする方向にしかいかないのです。だから、結果として援助は、見た目は増額されているけれども、結局それは借金。貸し付けでしか増額されていないので、失望は大きかったです。また債務の鎖に巻き込まれるのかと。援助はできるだけ贈与にしてほしいというのが多くの人々の声でした。

「でも、やっぱり借りたものは返さなきゃいけないでしょ」という意見をよく聞きます。だけど基本的人権を奪ってまで返さなくてはいけないお金はありません。ここまで人々の生活に実りをもたらさなかった借款、債務とは何だったのでしょうか。今度の貸し付けの場合は貸し手側がきちんと責任を取ってやりましょうというようなルール作りが、まず必要なのではないかと思っています。

長い間聞いてくださり、分かりにくかったところもあるかもしれません。どうもありがとうございました。

 

質問者

 お話ありがとうございました。先ほど最後に言われように、借金を返すためにまたお金を借りて、結局それで借金が増えて、という負のスパイラルみたいなところにはまりこんでいるのかなと思うのですけれども、途上国のほうで借りないための動きのようなものはあるのでしょうか。

 

普川

 借りない動きというのは、まずないのです。借りないと国家予算が回りませんから。日本だってそうですよ。国債でお金を借りないと、国家予算が回りません。途上国の場合、国債は発行できません。支出がある以上借り入れをしないという選択肢はないです。ただし「返さない」という動きはあります。ペルーのガルシア大統領の時代にあったのですが、国際政治の力にはかなわず実行できていません。現在ここまで債務問題がひどくなったために、国際ステージでもある程度認識されてきました。貸し手側が削減なり帳消しを認めようという動きは進んできています。それは喜ばしいことです。ただ問題が二つあって、一つは構造調整がセットになっている。もう一つは、貸し手側の責任というものが全く問われないことです。私からの重要なメッセージ一つに、貸した側の非を認めるべきだということがあります。銀行だったらリスクを精査して貸します。それが返済されなかったら、貸した側の責任ですから不良債権化します。だけど国の場合はそうならない。貸し手側もその責任を負いなさい、ということを私はお伝えしたかったのです。先進国側は「私たちとってもいい人たちだから、債務削減を考慮する」という態度なのです。貸し手側の責任というのは全く問われない場合、幾ら債務を免除しても、債務を幾ら帳消しにしても、結局同じことが繰り返されるのではないか、という懸念があります。

 

質問者

 今の話の続きで、では、貸し手側の責任を問うという話しのときに、貸し手側が貸すときに国内でやっているような審査をして貸した場合に、貸せる国があるのですか。

 

普川氏

 タイムリーなご質問です。全くおっしゃるとおりです。貸し手側の責任もあるのですけれども、借りている国の場合、経済運営にしても政府の腐敗にしても、貸せない国が多いのは事実です。だから、「貸すな」というのが一つの議論なのです。特に教育・保健セクターは、基本的に投資をして利益を生むプロジェクトではないので、それはそもそも借款、貸し付けという性格にはそぐわない。本来ならばいわゆる借款ではなくて贈与がふさわしいプロジェクトのほうが、ニーズが高いのです。ということで、今の経済運営から考えても、そのプロジェクトの種類・性質から考えても、借款ではなくてできるだけ贈与に切り替えるべきだという議論があります。

 確かに、りっぱに債務を返済しようとしている国はないとは言えないですよ。例えば、ベトナム。ベトナムも非常に借金の多い国です。ですが債務帳消しを拒否し「返します」という国です。例えば戦後まもない日本も世界銀行などからかなり借金しましたけれども、高度経済成長が伴って返済することができました。こういう場合は、もちろん貸してもいいと思います。ただ、現在のアフリカは民主化が進んできているとはいえ、巨額のお金を必ず利益を生む形で投資をするということが担保された国とはいえないと思います。

 

質問者

最貧国をどうにかレベルアップをしてあげようということの働きをされているのでしょう。お金を貸せばいいのではなくて、今、教育・医療への援助は必要です。もう一つ、飢えが多いという問題もあります。そうすると、地産地消、大きな視点で言えば自国自消です。債務国に生産技術とか、自国自消のためのツールを与えることも援助かと思います。ペシャワールがいい例ですよね。そういう議論に結びつけたいです。

 

普川氏

 同感です。経済規模から考えてもそうだと思います。

 

質問者

 所属していらっしゃるNGOでは債務をなくすために具体的にどのような活動をされているのですか?

 

普川氏

 具体的というか、方向性は二つあって、一つは皆さんに伝えること。債務問題に関して伝えることで、例えばこういう『280億円はたったの4日分に過ぎない』というパンフレットを作りました。新聞社の人に頭を下げて記事を書いてもらうこともありますし、講演会による活動もしています。日本は最大の債権国ということを、国際的に特にアジアの人々はよく認識しています。その思いとは裏腹に日本国内では債権者としての情報があまりにも少なすぎる。日本の債務というものがこれほど人々の生活を苦しめているということ自体を、あまりにも債権国の人間が知らなすぎるのです。できるだけ多くの人に知ってもらいたいということが、まず第一点。

 もう一つは、これはなかなか難しいことなのですけれども、日本政府を変えるしかありませんので、外務省や財務省の人たちに話しをしに行きます。G8サミットのときなど、貧困問題というのは必ず話し合われますから、債務帳消しや構造調整をやめる決定を下してくださいということを、政府にお願いに行きます。もちろん、外務省とか財務省に世界の市民社会の世論を紹介しに行きます。官僚レベルを動かすのは非常に難しく、政治家を動かす方が速いのです。政治的な鶴の一声が効くというパターンがありますので。実際は成功していません。各参議院も衆議院もODA調査委員会があり、その関係議員に途上国NGOとの面会を求めるコンタクトをとります。実際に今回G8サミットのときに、主にフィリピンの人たちを連れて国会議員の人に 会いました。

 

司会

 地産地消という非常に身近な言葉が、実は世界問題につながっている。自分の国のものを食べる。私たちも食べる。貧しい国の人たちも食べるという世の中にしなくてはいけません。債権国である日本人がこれを分かっていないと根本的に変わらないと、個人的には思っています。最後にこの現代GPをとりまとめていらっしゃる農学部の中司先生のほうから、ごあいさつをしていただきたいと思います。

中司先生

 どうも普川さん、ありがとうございました。

 まず、なぜ国家の援助なのか。その国家の援助というのは括弧つきの「援助(ODA)」ですね。いわゆる、助けるということではなくその裏には、特に債務・債権というものを引き起こす問題が起こっている。この債務問題が、地産地消(自産自消)を崩すということです。債務問題は地産地消につながる世界的な社会問題になっているのです。これが、食糧生産の循環を破壊しているのだということは間違いないのだと思います。それでは、債務を再生産させない構造をどう作るのかというのは、大変難しい問題にあると思います。身近な例で、例えば先ほどモブツ大統領や、朝鮮民主主義共和国の金正日がいます。そこの為政者、権力者の体制や独裁者へのリベートが問題です。これは日本をはじめ、大部分の先進国の経済的な構造にかかっているので、なかなかそこを打破できないのです。しかし、私たちがこれからどう考えていくかというと、やはり足元から考えていかなくてはならないと思うのです。まず、債務、債権というのは、今、振り返ってみますと、格差が拡大する日本において、二重三重に同じ構造が出ているのではないかと思うのです。つまりどこに、その債務、債権が起こる問題点があるのかということを認識しなくてはいけない。私たちの周りでも毎日ご飯がなかなか食べられないというかたも、今はできてきているわけですね。日本の豊かな食糧を本当に享受できないという事情ができてきているわけです。 

 世界レベルの問題を、身近で個別な自分たちの問題の中に見いださねばならない。ここで私たちが考えなければならないのは、足元をどう見るかということだと思うのです。同じ構造が足元に、地域に来ているのです。その時、地域文化をどう共有していくか、貧困の社会の海外の文化をどう尊重していくかという文化の問題。それから、やはり根本は命をどう大切に守っていくか、命をどう愛おしんでいくかという「心」に出発点を見いださねばならない。これは今の私たちの周り、日本を見ても、あるいは大きな世界構造を見ても、共通のところだと思うのです。やはり皆さん自身がその大切さのもと、命の愛おしさとか基本的人権とかいうことをもとに、問題を解決する人材となっていただきたい。私はそういう人材を育てていきたいと思っております。地産地消を実現するにはやはり貧困をなくしていくとか、文化を理解するとか、その根底にある命のいとおしさを理解すること。「大地」から育まれるものをみつめ、足元から出発してはどうかと思っております。

 

10月10日18:30〜

普川 容子(ふかわ ようこ)

一橋大学法学部国際関係課程卒業。London University, School of African and Oriental Studies  (SOAS) ディプロマ課程卒業。University of East Anglia(UEA), School of Development Studies 修士課程修了。エッソ石油財務調査本部勤務、NGO「ヒューメイン・インターナショナル・ネットワーク」事務局長代行、ジュビリー2000債務帳消し日本実行委員会広報担当等を経て、(特活)アジア太平洋資料センター理事。主な著書・論文に「トルコ人女性が向き合う二重の壁」(内藤正典編『トルコ人のヨーロッパ〜共生と排斥の多民族社会〜』明石書店)「米国/EU 遺伝子組み替えをめぐる貿易紛争」(月刊『オルタ』2004年2月号)「インド・ケーララ発 市民力 −IRTCの取り組み」(月刊『オルタ』2004年8/9月号)「GATS サービス貿易の自由化」(月刊『オルタ』2004年12月号)「IMFと世界銀行: 日本のかかわりを知っていますか?」(『NI-Japan』2004年3月号)『徹底検証ニッポンのODA』(共著、コモンズ)

 

九州大学は、地域の人々と関わり風土を慈しむ心を養う学生教育プログラムを始めました。自分が生きる土地のものを食べる「地産地消」は、単に健康のためだけではありません。温暖化や世界貧困などの社会問題に深く関わっているのです。「地産地消」につながる世界的社会問題や文化的背景について学び、未来につづく道を共に探しましょう。

現代GP(Good Practice)とは、優れた大学教育プログラムを支援する制度です。九州大学・現代GP「地域環境、農業活用による大学教育の活性化(大地、生命、農業と芸術の融合による教育プログラム)」の一環として3回の講演会を行うことになりました。次世代のために、心を見失った物質中心の社会システムを改善し持続可能な社会を取り戻さなければなりません。そのためにはまず温暖化や世界貧困を生み出す社会のあり方に目を向け、それらが私たちの「食」や「地産地消の農業生産」に結びついていることに気づく必要があります。受講者自身が問題を主体的に考え、創造性豊かな提案と行動する力を養うことを目標にしています。大学生と、地域の方々が共に学ぶ新しいプログラムです。

→参考:未来につづく道「橘の響き」「命の根」

九州大学大学院芸術工学研究院 知足(ともたり)美加子

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