「触れたかった手に」2007年 木彫

 この作品は、第二子が生まれた時の形である。2004年、自宅の風呂での無介助出産だった。彼は卵膜をかぶって生まれてきた。「袋子」と言われ、赤ちゃんにとって負担が少ない生まれ方という。卵膜の中で、子供が彫刻のようなポーズをとっていた。弥勒菩薩のようだなと、思った。卵膜の首下の部分を爪で破り、命が目の前で扉を開けるように生まれてきた。生と死がごっちゃになったような、果てしない静けさを感じた。今もその光景がはっきりと目に浮かぶ。静かさの中でいつまでも子供を抱いていた。

 昨年論文の下調べで、明治のハンセン病患者の出産に関する記事を読んだ。初めてWebの記事で慟哭した。出産経験がなかった頃とは、感じ方がまるで違う。その赤ん坊を抱いて、どこまでも逃げ出したくなるようだった。触れることさえできなかったという事の重みは、心身に驚くほど響いた。そんな中、ある美術家の方から赤ちゃんが誕生したというメールが届いた。出産後直後の幸福感にあふれる家族写真が添付されていた。その写真は悲しいほど美しかった。その後、身近な人や自分の入院が続き、生死への万感の思いを彫刻として作りたなった。

 素材である一本の大きな樟を少しずつ分割して制作した。(樟丸太は値段が高いので)ひとつは「子守唄」で春日助産院に寄贈(2003年)。ふたつめは「海美の風」。矢山クリニックに寄贈している。(2005年)そして最後の「触れたかった手に」は主人のNPOエスタスカーサに寄贈予定である。(2007年)

 台座の木は、九州大学箱崎キャンパスにあったヒマラヤスギである。大学移転に伴い伐採するということになり、心を痛めた職員の方が「何かに使われませんか?」連絡してくださった。柔らかく、よい香りの素材である。

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