Waseda Links vol.39 pp.48-49 インタビュー記事2019年 

(早稲田大学公認学生団体「早稲田リンクス」発行のフリーペーパー/特集・目の前にまち)

 

                                                          九州大学 知足美加子

      



*早稲田大学学生の重岡空さんが、復興支援とまちづくりについてインタビューしてくださった記事です


九州大学ソーシャルアートラボ に所属している知足美加子さんは、九州北部豪雨の 復興活動に尽力している。彼女は芸術家であり、アートを通して人の意識につながる ことを試みた。被災者の心に働きかける活動は、地域の再生に大きく貢献している。 そんな新しい視点で復興活動を行う知足さんにインタビューし、人が立ち直るために は何が必要なのか、そしてまちをつくるとはどのようなことなのかを探った。

「社会の一部として創り出すこと 」

知足さんの本 の「人間の意識も社会の一部で、身体も自然の一部」という言葉は、まちづくりにおいても大事な考えかたなのだと感じました。

-やはり、アートはわかりにくいという人もいます。でもヨーゼフ・ボイス という 現代美術家はアーティストを「自ら考え、自ら決定し、自ら行動する人々」と考えま した。そして、誰もがそうなる義務がある。社会というのは一人ひとりが創造する偉 大な芸術的総体なのだ、と言いました。アートとは、創り出す本人が感じたことを実 現していくことです。そのような一人ひとりの行為が社会をつくっていく。社会は 人々の心のありようそのものなのだと思います。私たちは心を無視して、結果のほうを社会だと思ってしまっていますよね。

人間は誰でもアーティストということですね。

-はい。私が捉えているアートってとても広範囲なものなのかもしれません。アーティストは創りたいから創るという単なる自己満足ではなくて、世の中のいろんな人 の気持ちという「社会」を受け取って作品に込めているんですよね。そうやって創られたものを受け取った人が幸せになる。それは非常に崇高な行為の連関だと思いま す。そういう、心で得たものを心に返すというアートの循環は一般的に”芸術“と言われるものだけに当てはまることじゃないんですよね。 それに、いままでにないことについての善悪の判断や、それが成し得る意義を考えるというのは、人間にしかできないクリエイティブなことだと思っています。いま、AIは創造できるのかということがよく話題になりますよね。創造の根本は何かと何かを組み合わせるということなので、そういう点においてはAIも創造できるのかもしれ ません。でもこれがこれからの社会に必要だからというイメージや倫理観(もしくは愛)は、人間にしかないものではないでしょうか。そして人間は自分が創造できる側だと知ったとき、初めて自分がいてよかったと、自分を誇らしいと感じられるのだと思います。


「心の復興」

復興プロジェクトにおいて、知足さん個人としては流木を使って、水の守り神である龍を彫刻されていましたね。

-そうですね。それを被災地の小学校に寄贈したときに、被災経験のある子が「これでもう災害は起こらないような気がする」と言ってくれたのです。災害はもしかしたらまた起こるかもしれません。でもこう思ってくれたことが本当に嬉しかった。その子がもう起こらないような気がすると信じることができて、そこにいることが少しでも怖くなくなるんだったら、何の賞がつかなくてもこんなに誇らしいことはない と思いました。こういう風に、自分がやれることで誰かを幸せにするチャンスがあるし、それがまちづくりに少なからず貢献しているという意識は大事ですよね。

知足さんが掲げている、災害から復興するための四つの視点*はとても興味深かった です。*[1.地域文化を再評価し、矜持を創造する。2.地域外からの関心を集め、観光や仕事を創生する。3.不安や緊張を緩和し、前を向く力(レジリエンス)を高める。4.災害への意識を継続する]

-あの視点は、2004年の中越地震復興支援として木彫(等身大の牛)を寄贈した際、学んだことでした。新潟県に山古志(やまこし)村という甚大な被害を受けて全 村避難した村があります。多くの家が壊れたり、避難時には手塩にかけた闘牛や錦鯉 を置いていかなければならなかったり、本当に悲惨だったそうです。もう村には帰れないと思っていた村民の約7割の人が帰村しているのです。それは当時の長島忠美村長の働きかけがあったからでした。復興の見込みが全く立っていないなか、彼は「二年で村に帰ろう」と宣言したのです。もちろん「できない約束をして責任とれるのか」と反発されました。しかし、まず目標の意識共有のために、バラバラだった住民を集落ごと仮設住宅に集め、自治を復活させました。自助の原点を取り戻してもらう 環境を整えたことは、住民の生きる意欲につながったそうです。そして、山古志の人々は、2年の目標には届きませんでしたが、3年2か月での帰村を果たしました。 目標を示さず頑張れというのは、ゴールのないマラソンをさせるようなもの。彼は苦 しみが終わる時間の「イメージ」を創造し、村民に自ら行動する力を与えたのです。 さらに、現在山古志村には家はなくても仕事として出向く「通い耕作」「通い養鯉」をする方々もいます。また、ボランティアをきっかけに関わり続ける若者や、農業体験に通う近隣小学生など、いわゆる第二村民のような「関係人口」の存在は大きいのです。特に、子どもがまだ地域を好きでいてくれれば未来はあります。この山古志の例のように、心の復興感が芽生えれば行動が伴ってくると思います。この出来事が、復興プロジェクトの指針の元になっていますね。


「これからのまちづくり」

まちが立ち直っていくために、災害後のインフラの復旧とは別に、意識へのアプロー チが必要ということでしょうか。

-はい。意識という見えないものが現実を復興へと動かすのだと思います。そもそも まちづくりとは一人ひとりの意識づくり、自信づくりです。つまり、自分がなにかを 生み出せる、決められる存在であると思うことができるようにするということですね。 自分の「これが幸せ」「これが美しい」という気持ちを大切にして、決めていく。 そして「美しい」という心は、未来を思いやる姿勢から生まれるといいと思います。 自分の子どもや孫の世代、さらにもっと先の未来を想像する。つまり、一人ひとりが 想像力を飛ばしながら、「いま・ここ」を決定・創造することが大切ということです。 また、それらをかたちにして調整することも大事です。誰かが意識の総体をマネー ジメントして「見える化」する。たとえば、いま取り組んでいる「黒川復興ガーデン とバイオアート」では、将来的に養蜂をやりたいと思っている人は蜜源になるシラカシを選ぶなど、参加者自身が何を植えるか決めています。そういう風に地元の人や参加者の意識をひとつに編み上げるとき、共有できる美しさや幸福のイメージがあるといいですね。ガーデニングというのはとてもいいアートのかたちだと思います。全体も細部も作れるし、季節で変化するし、長い期間にわたってみんなが随時手を加えて いくことができますから。このような活動は一人ひとりのディレクションをマネージメントしているということになりますね。

これから知足さんは、自分で創るということと同時にマネージメントするということ も試みていきたいと思っているのですね。

-そうですね。「見える化」することで、各々の決定を分かち合うことができるようになります。ひとつのディレクションに皆が従うのではなく、決定のちからを分配し、その粒を共存させるイメージです。修験道のことばで「習合」といいます。本人 たちはまちづくりをしているとは思ってないけど、いつの間にか自分の決定が反映されて誰かを喜ばせているという共創状況ですね。これを実現することが、これからのまちづくりだと思います。

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