早馬(生後7日め) |
自宅出産体験記 2004年9 月 >Buck |
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妊娠前 |
| 長女の2年2ヶ月にわたる母乳育児を、クリスマスの日に卒業しようということになった。卒乳の日を楽しく思い出深いものにしてあげたいと思ったからだ。その後数日の大変な時期を乗り越え、実家の英彦山で年末を迎えた。大晦日、寝床に入った長女が天井を見上げて何か話している。「お月様から来たの?お星様から来たの?クリスマスツリーから来たの?....うん。....うん。わかった。またきてね」私たちが何度そこをみても何も見えない。彼女が知っているかぎりのキラキラしたものを列挙していたので光っているものらしい。不思議な思いで年を越した。翌日(元旦)に「誰と話していたの?」と聞くと「こども、こども」と答えていた。それから数日して妊娠していることがわかった。あれは彼女と次の子とのコンタクトだったのかもしれないと、なんとなく思っている。 |
| 妊娠中(+長女誕生の話) |
| 長女は自然分娩を推進している春日助産院(tel:092-581-4069)で出産した。(2001年10月)ここは徹底した妊婦の自己管理を指導してくれる。特に「食」に関しては心を砕いているところだ。私はもともと玄米菜食を心がけてはいたが、ここで新たに学んだことは大きい。(乳製品の弊害など)1日3時間の散歩を勧められた時は「言うは易しだよなあ」と思ったが、そのうち歩く楽しさを知った。妊娠中は感覚が自然に近づいているので、車のスピードに心身がついていかない。歩く方がずっと楽に感じる。季節の移ろいや動植物の営みが、歩くことで心にとびこんでくる。幼稚園くらいの時ははこんな風に世の中を感じていたなとふと思った。「歩く速度でないとものごとはよく見えない」と彫刻の先生がおっしゃっていたことを思い出す。
春日助産院に対して今でもありがたいと思うことは、予定日より3週間遅れても待ってくれたことだった。(高齢なので病院だったら帝王切開だっただろう)促進剤などの薬物投与、会陰切開などの医療介入は一切しない。あくまでも母子の力を信じてくれる。予定日なんていい加減なものなので、それに振り回され手術にまでいたるなんて恐ろしいことだ。赤ちゃんの都合にあわせるのが自然な営みだ。陣痛がはじまってから出産まで、夫はとても親身になってくれた。その後育児に積極的になり、NPOを立ち上げたのもこの経験のおかげだと話している。(→夫の育児手記) (→NPOエスタスカーサ) 26時間の陣痛の後、スルッと産まれてくれた。自分でさっさと抱き上げてしまったので、助産婦さんから「男ですか?女ですか?」と聞かれた(笑)。生まれたこと自体がありがたく、産後の処置を後回しにしてでも、しばらくは母子だけで静かに喜びをかみしめたいと思った。産んだ瞬間から母親になるというのは本当だった。 胎盤を食べると産後の肥立ちがよいと聞いたことがある。特別にお願いして生姜醤油をつけたものを恐る恐る食することになった。それがびっくりするほど美味しい!まさに赤ちゃんの生命の源という感じがした。この日がちょうど中秋の名月だったこと。また陣痛中散歩した公園の金木犀が満開だったことから「空香(くうか)」と名付けた。赤ちゃんのペースにあわせてゆっくりと出産にいたったので、母親の身体の準備がすっかり整っていたのだろう。出産当日から母乳が出た。その後も母子同室のおかげで母乳育児も問題なく、空香は夜泣きをしたことがない。生後7ヶ月までは母乳のみで育てたが、驚くほど成長が早く(3188g ,52cm→4ヶ月後 7355g ,65cm)10ヶ月で既に歩いていた。食事のおかげだろうか、アトピーなどのアレルギーはない。予防接種は(三種混合以外は)受けさせなかった。(千早病院の小林先生の考え方に共感したので)調子の悪いときはホメオパシーで対処した。丈夫な空香は病院にはほとんど行かなくてすんでいる。感謝の心をこめて産後はじめて手がけた作品は、お世話になった春日助産院に寄贈している。→木彫「子守唄」 第一子出産の際お世話になった助産婦さんの一人・田中(旧姓・木場)さんが自宅出産をサポートしていると耳にした。(木場さん携帯メール)愛と優しさに満ち、信頼のおける助産婦さんである。長女の出産を通じて、自分がかなり周囲に気を遣う人間であることを自覚した私は(それで陣痛が長びいたようだ)第二子は気兼ねのない自宅で出産することに決めた。検診も自宅に出張してくれるので、和やかな雰囲気のなか話もはずみ信頼関係が深まるのがわかる。11週と32週、37週の検診のみ北九州にある中村産家医院(tell:093-922-1085)に行く。ここは自然分娩に深い理解のある数少ない産婦人科医院である。保育士が常駐する託児スペースがあったりと、要所要所に妊婦への思いやりが満ちている。心のこもった祝福と安心感を与えてくれる診察に、とてもリラックスしている自分を感じた。通常の病院では妊婦は拒絶感や屈辱感を感じながら検診・出産を行うと聞く。このようなよい方々と縁があったのも、子供たちのもった運なのだろう。周囲の性別へのこだわりを回避するために、検診の時に男か女かを聞いてみた。とたんに赤ちゃんがエコーの画面内で寝返りをうってくれて男の子ということがわかった。(これで産後、性別問答をする必要がなくホッとする) 今回のつわりは軽めだった。子供の個性によって妊娠の状態もちがうようだ。「あなたにもできる自然出産〜夫婦で読むお産の知識」(本の泉社)という本はとても役にたった。今までの知識をベースに、自分の感覚を信じてよいという自信を得た。「しなければならない」ではなく「したいからする」というところで生活したので、精神的に毎日くつろいでいる。それが一番の胎教だろう。通勤を利用した散歩に加え、水中ウオーキングにはまりマタニティヨガも行った。腰部と足部の保温につとめたがさらしの腹帯はしなかった。(私の巻き方に問題があるのか苦しいのだ。産後の骨盤固定には便利だった)マクロビオティックでは身体を冷やすといわれている果物も、ほどほどにとった。植物の月日の結晶である果実が、身体に悪いわけがないと思う。冷蔵庫で冷やさずに旬のものをいただいていれば問題ないだろう。 出産とは事前のからだづくりや心の準備が集約されたものだ。その努力は出産だけでなく産後の育児のためでもある。よいお産とは、時間の短さではなく母子の満足度なのだろう。この粗雑な世の中に純な心のまま生まれ出るということは、赤ちゃんにとってどれだけの決意がいることだろう。その人間が潜在的に持つ世界への印象は、出産時にすりこまれるという。その後の人生が豊かで学び多いものになるよう、できるだけよい状況を提供できればと考えている。 この子が生まれると同時に世の中の仕組みが大きく変わっていく予感がする。これからは物質的な豊かさより精神的な生活を求められる時代になるのだろう。その混乱期に光を投げかけていくのが、この世代の使命なのだと思う。祈らずにはいられない。 |
| 誕生 |
| 9月22日、不規則な痛みは感じたが、空香の時とは比でなかったので前駆陣痛だとやりすごす。前日までの3連休に家族で遊んだ疲れもあり、縫い物などをしてゆったり過ごす。夜、空香に添い寝して寝かしつけると、いつになくすぐ寝入った。頻繁にトイレにいきたくなり、お産が近間っていることを予感した。前述の本に従って、浴槽に塩(2kg)竹搾液、ビタミンCなどを入れて準備する。本格的に痛くなったのは夜中の12時。助産婦さんを呼ぼうと思えばできないこともなかったが、心の奥で「できればこのまま自然の流れにまかせて、自分の感覚に集中したい」と思いそのままにした。いきなり陣痛が強くなりはじめ、夫が起きてきた。風呂に入ると陣痛の感覚が2、3分おきになった。両膝をついた体勢が楽だが、上体が不安定なので夫に支えてもらう。子宮がグーッと絞られるような感覚が続き、赤ちゃんがどんどん降りてくるのがわかった。
子宮口が全開になったような気がした後、フッと静かな時間がきた。今までと時間の質が違うのである。夫婦の間に、スーッと赤ちゃんが生まれるのがわかった。左手を顔の横に置いて手を組んでいる赤ちゃんが手の中にフワッと浮かんできた。白っぽい固まりのようにみえたのは、卵膜をかぶった状態だからだった。人の訪れの「静けさ」と「神秘」を感じた。魂を成長させるためにどんな計画を心にだいてここに訪れたのだろうか。 喉の下の膜を爪で切って、袋をとってあげた。助産婦さんの話だと、卵膜をかぶって出産するのは赤ちゃんにとって一番ストレスのない生まれ方だそうだ。その後、夫が助産婦さんに連絡。赤ちゃんの身体を湯船につけ、頭をあたためたタオルで保護する。顔をうつむきぎみに抱いて、羊水を吐き出させた。泣き声をきき安堵する。生まれてすぐ、家族だけで過ごせるという幸せを味わった。 22日午前1時5分、2850g、50cmで誕生。陣痛がきて1時間の出来事だった。名前は「早馬」。響きを中心に、シンプルで呼びやすい名にしたかった。「早」という字は新芽に朝日がさす様子という。よいものを生みだし、人の幸せのために生きる人になってほしいと願う。 木場さんが10分くらいで到着し、湯船をでることになった。産後の処置に関して、プロの助産婦さんがいてくださるのはとても心強かった。胎盤は自然に出したかったので、時間が随分かかるかと思っていたが、1時間して上体を起こしたらスッとでてきた。産後の肥立ちのために、木場さんに頼んできれいな部分を小分けにしてもらう。夫婦で食した後、残りを冷凍してもらう。へその緒の拍動が完全にとまるまで、さらに一時間かかった。へその緒は私が切ることに。思ったより丈夫だった。これが命をつないでいたのかと感慨深かった。私の状態が落ち着くまで、木場さんと夫が寝ずに待っていてくれるのが申し訳なく、ちょっと無理をしてトイレに行くと申し出た。気を遣ったのがよくなかったようで急に出血しはじめ、意識が遠のきそうになった。廊下で横になり手当を受ける。梅生番茶を飲ませてもらうと身体があたたまってきた。木場さんの話によると、急なお産だったので身体から搬出しようとする傾向がまだ残っていたのではないか、とのことだった。二人のかいがいしい看護に心から感謝する。 朝になり空香が起きてきた。赤ちゃんにびっくりした様子。「昨日まで生まれてなかったのにねえ」と不思議がっていた。しかし普段とかわりなく朝の支度をし、保育園に向かった。先生に赤ちゃんの名前を聞かれて「早馬君」とちゃんと答えていたそうだ。自宅で産むと上の子が赤ちゃんの存在を受け入れるのが早いというが、ほんとにそうだ。むしろいつもよりにぎやかでウキウキしている。今日は「早馬くんの0才の誕生会をする!」と大はりきりだった。実家の母が泊まりがけで応援にきてくれる。 母乳の出がよく、生後二日目から体重が増加する。(胎便がでるので数日は体重減少することが多い)胎盤を少しずつ食べているせいか、子宮の収縮もとてもよい。「5日前に出産されたとは思えないほどです」と助産婦さんに言われた。空香の時も収縮はよいほうだったが、今回は特に早いと自分でも感じた。もともと妊娠がめだたない体質で、お腹があまりふくらんでいなかったのだが。やはり胎盤のおかげだろうか。木場さんが整体や頭蓋仙骨療法、テルミー、アロママッサージなど様々な方法で産後をケアしてくださったのも効いているようだ。また妊娠中の過ごし方や、自宅でのストレスのない日々など、あらゆることが重なったのだろう。早馬もとても落ち着いている。 夫婦だけの自宅出産というのは、周囲に驚きをもたらしたようだ。でも考えてみると一番自然な形ではないだろうか。よい距離感をもち親身になってくださった助産婦さんの存在があってこその無介助出産だった。この経験を多くの人々と共有し、人の生まれ方・死に方について再考していただければと考えている。 2004年9月 |