気づくことの多かった育児 →Buck
知足 文隆 (旧姓 鶴田)

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妻が産後半年で、急遽職場(芸工大)に復帰することを余儀なくされました。生後6ヶ月の子供はまだ幼く、また今後も母乳育児を続けたいという希望を持つ私達は悩みました。子供にとって一番いい環境はと考えに考え、私は決断をしました。とてもやりがいのある仕事(障害者の無認可作業所)を離職することです。(産休を取ることは無理でした)そして私が子供と一緒にいて、必要な時に母乳を飲ませに行くことでした。今になってこのように考えられたのは、育児について何も分かっていなかったからだと思います。 最初の頃、よく子供と一緒に散歩に出かけました。今までに目に止まらなかったもの −小さな草花や犬猫、町の雰囲気のいい小道など− をつぎつぎに発見しました。歩く速度で考えながら、歌をうたいながら散歩することの大切さを再確認しました。 家の中では積木を並べると、まだハイハイもおぼつかない子供が何とか精一杯体を伸ばし・壊すということを繰り返しました。私が積木に書いてある絵や言葉を語りかけると、じっと集中して聞いていました。こうして一緒に遊ぶ事中心の生活を送りました。 昼、母乳を飲ませるために大学に行ったり、妻に昼休みに帰ってきてもらったり、朝一緒に通勤しギリギリまで母乳を飲ませることもありました。その後職場に近い図書館に行ったり、散歩に行ったりして、2〜3時間置きに母乳を飲ませていました。大学によく通っていましたから子供を可愛がってくれる学生からは「0才にして飛級やね」「大学のアイドルやね」とか言われることもありました。 朝晩の食事は妻が用意してくれるため、私は日中子供と楽しく過ごす事だけに集中できました。通常はお母さんのみが家事・育児を切り盛りしていくことが当り前のように思われています。しかしそれは「とんでもない事だ」と思います。家事にしても、育児にしてもお母さん任せにするのではなく、お父さんの協力が絶対に必要であることを痛感しました。 私も妻が産休中は、夜遅くに子供を風呂に入れるなどいろいろやっていたつもりでしたが、「つもり」の程度でしかなかった事に気づきました。もっと早く帰って子供と向かい合う時間を持つ事が、育児の負担をお母さん任せにしない最大の方法である事を痛切に感じました。 9ヶ月になると母乳を2〜3時間おきに飲ませるために、晴れていれば自転車で大学まで通いました。途中公園によると、まだハイハイしかできなかった子供が滑り台を逆からよじ登りました。雨の時はバスで通ったりしていました。どちらにしても帰りは自転車の前の座席やスリング(抱っこひも)の中でぐっすり寝てしまいました。近所でとても仲良くしてくれるお子さんに誘われて、水遊びや公園に行く事もありました。 10ヶ月の終わりに歩き出し自分自身でやれることが増えるにつれ、昼寝の時間も増えました。1才をすぎてからは、できるかぎり家事全般をやるよう努力しはじめました。 仕事をやめ社会から取り残されたように感じていた私に、妻が「今しか体験できない事があると思うよ。子育てには何か絶対に得るものがあるし、特に生活を切り盛りできる事は全ての基本だよ」と大切な事を教えてくれました。やはり私はここでも気づかされてしまいました。お父さんが稼いできている家庭が多いですが、その給料は夫婦で稼いでいるものであると痛感しました。 1才〜1才半には、週に一度子供を義母に預け、ガイドヘルパー(障害のある人の大学の授業のサポート役)を始めました。義母、叔父母とパン作りなどをよくしました。父が休みの日には車で遠方の公園に一緒にでかけました。家族や親戚のサポートのありがたさを感じた時期です。 (母乳育児中ということもあり)家族そろって遠方に移動し、体験を共有することが増えました。結婚式のために東京へ、デイサービスセンターの見学のために富山へ。高松や直島の美術館など妻の出張にもついていきました。特に富山の施設は、私が育児期間に入る前から考えていたような理想的な場所でした。障害者、乳幼児、高齢者などの枠組みとりはらった自宅開放型施設なのです。ここではワークショップ「一緒に大理石のかけらを磨いてみよう」も行いました。「みんな一緒が一番」といった現場を見学できた事は、この時期にしかできないことであったと実感しています。 http://www.kyushu-id.ac.jp/~tomotari/konoyubi.html この頃になると昼の母乳は前の日に搾乳してもらったものを温めて飲ませるようになり、午前も午後もたっぷり公園で遊びました。活動も日増しに活発になりました。弁当持参で遠方の公園に遊びに行く事もありました。雨の日や体調が悪い日以外ほとんど外遊びは欠かしませんでした。母乳と外遊びのおかげで子供はほとんど病気もせずにすくすく育っています。(1才半を過ぎた頃、昼の母乳は休みの日以外ほとんど必要なくなりました。) そして子供にとって友達との関わりの重要性を感じ出した頃、同時に私自身も勉強する時間が持ちたいと思うようになりました。以前予定していた保育園を利用する事を考え出しました。とはいうものの私自身子供に依存しきっていて、離れたくないという気持ちがありました。ここでも妻が「お父さん子供も互いに輝いている事が大切だし、離れているからこそ一緒にいる時間を大切にする。子供にとっても子供同士の関係をもつことが必要な時期にきていると思うよ。」と言ってくれたので少しずつ家族と一緒に新たな生活へのスタートを切る気持ちになりました。 そんな時期に手首を骨折してしまったのです。手術など妻や子供には大変心労をかけてしまいました。怪我によって否応なく子供は1才7ヶ月にして保育園に行くことになりました。別れる時はかなり泣きますが、園では元気に遊んでいるようです。 ここまで書いてきて思うことは、子育ては決して1人でするものでないということです。当たり前の事ではありますが、いろいろな人との関わりが広がっていく中で、子供も親も成長していくのだと思いました。この1年間子供と一緒に経験できた事を、これから先の私の人生において大切な宝物していきたいと思っています 2003年5月 *その後、2004年に第二子が誕生し、NPOエスタスカーサを立ち上げました。障害者、高齢者、子供への福祉の垣根をはずしていこうという活動です。育児体験がNPO立ち上げの契機となっています。 |