《連句の輪  (復興支援)》 

  

 

 被災地の「自然」や「記憶」をテーマに、短詩五七五の下の句を、次の方の上の句につなぎながら創造のリレーを行いました。詠み手は、「九州北部豪雨災害 復興支援団体紹介冊子 かたり」の取材先の方々が中心となっています。(→冊子PDF )

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短詩五七五、連句の輪

(1) あさくらに 共に響く 満天の 星に願うは令和の縁(えにし)

(2) 令和の縁(えん) 見えぬ繋り 見えるよに

(3) 見えるよに なるか復興 まちづくり

(4)まちづくり 大事にしたい 共助(きょうじょ)の輪

(5)共助の輪 織りなす想いに 道拓く

(6) 道拓く 悠久(とわ)の山河の 恵み受け

(7) 恵み受け 実るありの実 ありがたし  

(8) ありがたし おおぞら青く いなほ揺れ

(9) いなほ揺れ 復興ダンプ 賑(にぎ)やかく

(10) 賑やかく 染み入る彩葉(いろは) 花然(はなしか)り

(11) 花然り 咲いて散りゆく  無一物

(12) 無一物 空に環るは 千代の糸

(13) 千代の糸 垂れし草屋根 天道生え

(14) 天道生え めぐるいのちに 神宿る

(15) 神宿る 山は白秋 わらべうた

(16) わらべうた ミライをうたい イマいきる

(17) イマいきる 未知のこの地を この先も 

(18) この先も 導き給え 仰ぎ見る

(19) 仰ぎ見る 山光の粒(りゅう) あさくらに   

                                                        →最初の句にもどる

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*詠み手コメント

(6)ーーここ数カ月、コロナと猛暑にやられて心がひからびかけていたところに、連句の依頼があり、心の泉が再び湧き出したところです。ありがとうございました。
「道拓く」のは人為であり変化ですが、一方自然は超然とそこに存在している。厳しくも優しい山河と共に健気に生きる朝倉の人々がイメージされましたので、そのままを詠ませていただきました。

(7)梨のことを「ありの実」と言い換えることができるので。

(10) 花の咲かせ方、咲く時期、その多様な在り方が、人に働きかけ、記憶という意味での色彩的な情景を与えます。しかしながら、一番大切なのは、その花を愛でる人の在り方です。 花にも個別的にそれぞれの色彩がある。見落としがちな、自らがよく知っていると思うものを、もう一度、見つめ直してみる。「やりなおし」を含めた「再生」、そのような意味合いでつくりました。
「花」は、「人」です。人がどのように咲くのか、人との関わりの中で、人は、様々な色彩をもって存在しています。そして、「葉」は、「つながり」です。人とのつながりのもととなる栄養をつくり、その人の在り方を支えます。 ゆえに、人の在り方を支える「つながり」を豊かにすることにより、花たる「人」に新たな命を吹き込む。 そのような情景です。

(11)枡野俊明先生にお会いした時、ご著書『心に美しい庭をつくりなさい』に「本来無一物」とサインをいただきました。 また、柿本人麻呂の「桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散りゆく」という句をやり取りしたのを思い出しました。

(12)無一物と聞かされて、、 この言葉がすべてを悟っているような。この言葉でもう完成されてるような。そんなことを思いつつ外を眺めておりましたら、空が澄んでいてなんと綺麗なんだろうと、高いところに薄い幾重もの雲が流れてて、それが、最近の出会いとか、亡くなった方々の思いとか、今朝梅鉢草の花が咲いたこととかが、すべてが見えないエネルギーで繋がっているような思いを詠みました。

(13)見えない千代の糸の先にある草木の種が草屋根に届き、太陽の光もまた届き、命が宿り巡る様を思って詠みました。

(14)私には荷が重いかなあ、と思っていたのですが、「天道生え」で回ってきたのは、ご縁なのかもしれません。私の友人宅は、朝倉の水害で周りはほとんど流されたにも関わらず、1軒だけ奇跡のように残ったのですが、庭には土砂が流入し、私も土砂の掻き出しの手伝いをしました。 その後、庭に植えていなかった山椒の木が生えてきて、まさに天道生えで、彼女の食卓を彩ることとなりました。災害は奪いもするが与えもする。もののけ姫のデイダラボッチを思い出しました。

(15)「神宿る」が回ってきたとき、 あ!までら山だ!と思いました。 あの豪雨で山肌は削られ、大量の土砂が普門院に流れゆきました。 3度目の7月が過ぎ、そして秋。 その普門院で子どもたちとワークショップができるというご縁。 童の紡ぐ音が、背後におあします山へと響きますように。

(17)生まれ育った地元でも知っているようで知らないことばかり。 災害が起きたこと知ったことがたくさんあります。 なのでこれからも地元に住んでもっと知っていこうという思いで作りました。

(19)光の粒子が降り積り、包まれるさまを表現。英彦山の三岳と龍にかけています。 「山光」ということば、私は映像から言葉にしましたが、禅語に「山光に古今なし」とあるようです。「山光に古今なし: 山全体の美しい景色は、今も昔も変わらないと言う意味。山の景色は、春夏秋冬の季節に応じて装いを変えるが、その生命力や本質は何一つ変わらない。一方、人は月日が経つと、誰でも何かしら変わってしまう。だから、人は山を見ると、その雄大さに永遠の安らぎを感じ取り、心が落ち着くのだ(仏楽学舎)」  季節の変化を超えた、山の普遍的な美しさ・生命感、存在感、自然の本質だったんですね。 太陽、水の音、岩肌、木、その木もれ日...。変化しながら永遠である命の象徴が、「山(英彦山)」だと、改めて思いました。

 

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