二風谷アイヌ文化と環境貝澤耕一氏インタビュー)  2004年4月23日

  1999年(アイヌ文化関連の活動)

 1999年貝澤氏講演会内容  BACK(menu) 

知足
貝澤耕一氏

現在世界各地において自然環境は人為的に変化しつつあります。耕一さんは二風谷ダム裁判の原告をされていたわけですが、その主張のひとつにダム建設が二風谷アイヌ文化にダメージを与えるということがありました。判決から7年たった今、変化したことはありますか?

二風谷ダム裁判があったからといって、国の動きとして変化したということはあまりないですね。ただ平成9年だったかな、河川法が改正になって、住民を無視して河川を改修してはいけないということがでてきましたよね。平取にもうひとつダムを建設しようとしている国土交通省としては、この河川法とダム裁判の判決を受けて「アイヌ文化にどのような影響を与えるか」ということを調査することになりました。(地元住民参加による「アイヌ文化環境保全対策調査室」。耕一氏が代表を務めている)だから日本政府もようやく一歩、環境に対しての考え方を踏み出したのかなと。
二風谷ダム裁判では、チプサンケというお祭りの存続が争点の一つになっていましたが、現在はどのような形になっているのでしょうか

中止になったのは、去年だけかな。台風10号が与えた住民への被害がひどくて、こんな時に祭りどころではないと。

祭りの方法は完全に変化したよね。本来チプサンケを行っていた場所は、ダムに沈められてしまったから。そのために国が用意した場所が下流にあるのですが、それは作られた川であって自然な川ではないし。

チプサンケは舟の浸水式で、その趣旨自体は変化したわけではありません。舟は博物館にしかなく今の生活の中では使われていないのですが。せめて伝統儀式として残し「文化を知ってもらいたい」ということで始まった祭りなのです。そういう意識の、ひとつの現れでしょうね。
チプサンケ以外にも文化を残そうとする動きはありますか?

今いろいろな形でアイヌ文化を受け継ごうとされている人たちがいますよね。自分たちの先祖の文化をどう受け継ごうかと努力しています。その中で旧土人法が改正されアイヌ文化振興法ができました。それによって助成金がおりるようになり、アイヌ文化に携わる人が増えてきたのは事実ですよね。例えば民具の複製作りとか、アイヌ語を習得する人の増加、講演等で知識を広めるなどの活動もできるようになりました。

 でもそれはひとつ問題があって…、正直アイヌの家庭の多くは経済的に苦しいですよね。国の助成金は生活費をだしませんから、使い方を間違うこともあるようです。だから僕はこの法律ができたとき「アイヌ民族分裂法だ」って言ったんですよ。要するに生活が苦しいから、お金の奪い合いがでてきてしまうと。そういう現象が実際起こっている。国はそれをねらっているんでしょうけどね。
ダム問題に関して、アイヌ文化を保持するには自然環境を保持すること、地場で生活できるようにすること、そのためになんらかの保障が必要だと耕一さんはおっしゃっていましたね。
といっても、今の人に昔の生活に戻れといってもそれは無理でしょう?だから自分たちの先祖の文化を学び・体験できる場。精神文化を受け継ぐに必要な環境を作りなさいということですよ。
耕一さんが考える理想的環境とは
学びの場としての人間が手を入れていない自然。
それと指導者的存在ですか

そこには指導できる立場の人間も必要だし、自由に体験できるということも必要。ルールを守りながらね。

 自然を体験するということは、アイヌだけが持っていたものじゃなくて、誰だって昔はそうだったのさ。日本人はそれを忘れてしまっている。思い出すためには体験する環境を取り戻さなくてはいけないよ。指導的立場の人間は、国がお金を払って雇うしかないでしょうね。

 アイヌ文化うんぬんじゃないんだよ。そういう体験があって初めて、どうして自然を大切にしなくてはならないのか、自分たちの食がどこからくるのかがわかってくるでしょ?今みたいにコンビニにいけば済むというのは、本来のものじゃない。
今実践していらっしゃるNPOチコロナイ(寄付金で民有地を買い取り、木を植える活動)は、そういった意識の流れから発想されたものですか?
まぁ、そうですね。始まったのはダム裁判の最中でした。作るなと主張したって、こっちもダムが必要ないと実証しなくてはいけない。ダムだけが治水能力があるわけじゃない。といっても森をつくるには何百年とかかるから。
本来ならこういうところに国の助成がはいっていけばいいでしょうね。
そうだよ。これは国がやるべき仕事だよ。
ダム横に流木が山積みされていましたが

流木が増えたことと、ダムとは関係ない。ただこれだけ流木がでたということは、山の崩壊を示唆してますね。

安い外材が入ってきて、いくら手をかけても採算とれないものだから。

昔なら薪としてとっていたはずなんだけどね。今は河原に木がおちていたって誰も拾わない。
アイヌ文化は木との関わりが深く、服も樹皮で作っていたそうですね。
アイヌ文化だけじゃないんだよ。四国の木頭村というところに行ってきたんだけど、アイヌと同じ樹皮で作った織物があった。素材の木はちがっても、製法は全く同じ。日本全国どこでもそんな文化はあったんだよ。
そうですね。自分たちの文化を忘れて、自然=アイヌという図式をアイヌ文化に押しつけている風潮はありますね。
よく先住民族に学べ学べというけれど「おぃおぃ、自分たちの先祖に学べよ」って言いたくなるのさ。自分たちの先祖をないがしろにするなって。自分たちの先祖の智恵を忘れているから、理想を押しつけてしまう。こうでないといけないって勝手に決めつけてくるんだよ。
それがアイヌの人たちを苦しめているひとつの側面ですよね。要望している方が実際行動すべきだということ多いです。
文化というとみんな特別なものと思ってるけど、文化というのは「生活」そのものでしょ?特別なものじゃないんだよ。生活そのものなんだから日々変わっていくものなんだ。その中から大切なものが受け継がれていく。そしてその時代にあったものが生まれていく。特別視するのはおかしいよ。
耕一さんは、文様などの文化をどうやって学んだのですか?

別に勉強した記憶はないし、ただ自然にまかせてただけさ。

アイヌ文様だって、世界中の先住民族の文様はみな似ているんだよ。というのはみな自然の形から文様を取り入れたからさ。誰かがそれをアレンジして洗練していっただけ。よく文様に「この意味はなんですか?」と聞く人がいるけれど、意味がないとできないというものじゃない。パターンじゃないんだ。それはその人が好きなように創ったものが、たまたま多くの人に共感を得て定着していったもので、意味を目指して創ったものじゃないんだよ。ただ創った人の「思い」がはいっているだけ。それをどうこういうのはおかしいな。
今の勉強法が、パターンを分析して組み合わせマニュアル化するという手法が多いですからね。インスタントに習得できるので。

創造というのは無意識に染みこんだものが、いつのまにか出てくるというのが自然ですよね。

自然と目に入ったものが残っていく。こうしなくてはというルールを作っちゃうからおかしいのさ。

特に大学教授っつうのは、こったら小さなことを、こったら大きいことにしてしまって、アホかと思う。(爆笑)もっと簡単に言えって。よくもそんなにこねくりまわせるなって思う。(笑)
ダム建設前後で、環境がかわったなとおもうことがありますか?

それは大いに変わっているでしょう。お年寄りから聞いた昔話と現実がちがう。お年寄りからきいたことを、今再現したいと思ってもできない。つまり先祖の文化を伝承できないという現象が起こっている。

 チプサンケはいつもやっていたところではできないし、食文化をみても「あそこであの山菜をとったよ」と言われても、そこは水の底に沈んでいる。または形を変えられている。開発と山の木を切り尽くしたために、植生が変わっている。何千年で築いた植生を100年あまりの北海道の歴史が壊してしまった。年寄りは壊される前の思い出を話すでしょ。思い出になってしまっているんだよね。

 もしその思い出を僕たちも体験できれば、精神文化も習得できるはずなんだけどね。肝心な精神文化を受け継ぐことができない。

精神文化が環境と繋がっているということですね。体験できる「場」として。

大切なのは精神文化でしょ?たとえ生活が変わったとしても、受け継がれるものなのに。そのために必要なものが奪われている。

 だから今行っている調査で、精神文化を受け継ぐにはどういった環境が必要かを提言できれば一番いいなと思っているんだけどね。
ダムができて、副産物的にいいことはありましたか?いい変化というか。
なんにもないよ。(笑)ただこれだけ世界的に環境破壊がすすむと、アイヌの自然観に興味を持つ人たちは増えているかもしれない。それが正しい認識からのものかどうかはわからないけれど。正直いって、僕も含めてなんだけど、今ほんとの自然観をもっている人間っていないと思う。だからさっき言った、精神文化を受け継ぐ場所が必要なんだ。
世界的に、それぞれの人が先祖の文化や環境に興味をもてば変わるかもしれません。

だから自分の先祖をたどりなさい、と僕は言いたい。学生たちに話す機会があると「両親やおじいさん、おばあさんに昔はどうだったかもう一度よく話をききなさい」と言うようにしているんだ。

 その点、日本人は怠けものなんだよ。自分たちの先祖のことを調べるのは面倒だけど、先住民のところに行けば手っ取り早くわかるぞ、と思っている。
次の世代に望むことはありますか?
別に提言ということじゃないけど、今チコロナイをやってる第一の目的は「子供や孫、そのまた子孫のためにおいしい空気と水を贈る」ためのものだと思っている。残された森から子供たちが自然を学んでほしいと思っているんだ。それくらいかな。特別なこと考えていないよ。
今日は、長い時間ありがとうございました。