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「山古志の角突(つのつき)」山古志村への寄贈風景

新潟県長岡市山古志村虫亀4028「丸新」)→作品、→制作過程、→新聞記事

寄贈先の旅館「丸新」玄関前です。横綱牛を飼っていたため、壁面に牛のオーナメントがあります。 山古志村闘牛所に展示されていた角突きの様子です。里見八犬伝に、この角突きの場面があります。

山古志の美しい棚田の風景。鏡のようにみえる水面は鯉の養鯉池です。 黒い鯉に突然変異で紅が入ったものを掛け合わせ、錦鯉が生まれたそうです。山古志は錦鯉発祥の地です。
12日に鉄道コンテナからユニック車に積み替えられた作品が到着。小説「星の王子様」のうわばみの場面のようです。 クレーンでギリギリまで近づけます。日差しや雨露をしのぐために、玄関前の屋根がある場所に移動しなくてはなりません。
最初は後ろに台車をいれていましたが、高さと重さの関係で前足下に入れ直しました。 後足下にコロをいれて転がします。コロを事前に用意できなかったのですが、話すとすぐに持ってこられたので驚きました。この鉄のパイプは、鯉の養殖池まわりに使うのだそうです。山古志スペック恐るべし。
丸新の田中さんの息子さんや、越後夢工房やまこし鯉ファームの方々(社長も直々に)運送会社や復興支援センターの方も力を貸してくださいました。大変心強かったです。 コロと台車を抜かなくてはいけません。ここでジャッキの登場です。角材を立てて、腹から持ち上げます。田中さんは雪かきのためにダンプカーやショベルカーも運転されます。山古志の方々の生きる力はすごいです。
ここで問題発生。水はけのために、床面が傾斜しています。奥の足の下に、下駄をはかせなくてはいけません。早速木っ端を探します。 何度もジャッキであげ、水平がでるように微調整していきます。この日の山古志は台風前で非常に暑く、みなさん汗が滝のように流れています。
目立たないように、下にかませる板を田中さん(ご子息)が小さく切って下さいました。
無事に設置できました!「怪我人がでないだろうか、道具は足りるだろうか」とずっと考えていましたが、地域の方々の能力の高さに支えられて、それらは無用の心配となりました。山古志村の協力魂はすごいです。
手伝ってくださった地域の方々です。心から感謝申し上げます。山古志の方々の協力しあう心を深く感じました。最後にサプライズで本格的なキャプションが!びっくりしました。とても嬉しかったです。記事を書いてくださった、新潟日報の加藤さんもありがとうございました。→記事 設置後、本格和牛の牛丼が振る舞われました。格別に味わい深かったです。それにしても宿泊中ふるまってくださったお料理は、どれも舌鼓を打つモノばかりでした。こんなに料理が美味しい旅館はないのでは。海の幸山の幸、どれも充実しています。野菜はほとんど有機無農薬の手作り。子供達とカグラナンバンや枝豆など、一緒に収穫させていただきました。

翌日近郊の集落「木籠(こごも)」地区に連れていってもらいました。2004年の中越地震の際、芋川が大規模な河道閉鎖を起こし、この地区のほとんどの家屋は土砂に埋もれたそうです。被害を実感し、息をのみました。 下流地域はコシヒカリの耕作地帯。土石流を流すわけにいかず、山古志が被害をせき止めた形になりました。この付近でお茶をふるまっていた地域の方に「ここで被害に遭われたのですか?」と尋ねると、だまって埋もれた家屋のひとつを指さされました。
隣の小千谷市に小栗山木喰(もくじき)観音堂があるので、足を運びました。1803年、木喰86才の時、1本の大銀杏から35体の仏像を彫りだしたと伝えられています。すばらしかったです。豪雪地帯の山間で生き抜くために鍛えられた人々。その悲願に、木喰が真摯に応えている感じがしました。祈りとは、厳しさに向き合う命への終わりなきエールなのかもしれません。私もいつか木喰のような気持ちで作品を作れたら、と思いました。

「山古志の角突」

第84回国展 損保ジャパン美術財団奨励賞受賞/国画会会員推挙作品

10.8.12九州大学 知足美加子

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