彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。(2006年4月から)

寒立馬制作 /2006年4月/5月/6月

4月18日
戦国時代の「黒田如水(1546〜1604)」の胸像制作を頼まれた。材料費のみのボランティアだ。肖像になっても「彫刻」にならないのではないかとずいぶん躊躇した。私の先祖にゆかりのある人物なので、何かのご縁だと引き受けてみた。(先祖は英彦山の山伏だが秋月黒田藩と関係があり、うちの家紋は黒田のものである)会ったことのない人物をモデルにするのは初めてのことである。資料は掛け軸などしかない。調べると如水は先を見通す眼力を持ち、風流を解する人物だったことがわかる。伊丹城に幽閉された際足が不自由になり、頭髪がぬけたらしい。頭巾と口元の構造に特徴がある。

デッサンをおこしてみる。実は父の開腹手術中に描いた。手術室への移動に付き添った後、心に穴があかないようにスケッチブックを開いた。

4月19日
ある論文発表の際に近くにいらっしゃった方のデッサンである。彼の周りには微細で高尚な空気感があった。佐賀で面打ち(能面作り)をされている方だと聞き、納得する。頼み込んでモデルになっていただいた。頭部やほお骨の構造が如水に通じるものがあったからだ。

デッサンするのは、対象を根本から理解し自分のものにするためである。自分の身体で出力するときに対象が近づいてくれる。描いてみてやっと、わかったつもりになっていたと気づく。よく「モデルは実物ですか?写真ですか?」と聞かれる。大事なことは描く行為によって自分が対象に近づこうとしたこと自体である。大学院時代に神戸武志先生が「彫刻は熟成された記憶から生まれるものだ」とおっしゃった。咀嚼し内在化した真実でないと、他者に感動を与えることはできない。

4月26日
国展陳列作業の出張が終わり静けさが戻った。東京芸大美術館内で開催されていたエルンスト・バルラッハ展(ドイツ表現主義の彫刻家)は素晴らしかった。長男が駆け回り、じっくりみれないのが無念だったが。

胸像の心棒を組む。小割り(木材)にほぞを入れ、湿らせたしゅろ縄(乾いた時に締まる)で巻いていく。つけた粘土が落ちないためだ。心棒は粘土で隠れてしまうものではない。心棒の動勢は最後まで影響し続け、作品を決定する力をもつ。物質は、人間の精神を受けとめ記憶する。どの作業も気が抜けない。老人独特の首の付き方を意識する。

5月のページへ

>Buck