彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。(2006年4月から)

2006年4月/5月/6月

6月2日
友人からのメールで、2週間もこのページを更新していないことに気づいた。今日覆いをとってパッと作品に出会ったとき「もう作り込まない方がいいな」とふと感じた。来週には石膏取りをした方がよさそうだ。このところ他者にはわからないくらいの造作を繰り返している。扱うと説明的になり、また削る。行きづまって、最初に描いたデッサンをみた。形が整理できて少し楽になる。着物は示唆するくらいでないと、どうも目立ちすぎる。りがつかない作業を終えると、昼食の時間をだいぶ過ぎていた。

直接面識はないがインドネシア在住のアーティストが地震の支援物資を届ける活動をしているという。http://midoriart.exblog.jp/自然な感覚から、適切な実践をしている彼女を陰ながら応援する

6月5日
石膏にして直付けでなんとかしようと思いつつ、きりがつかない。せまい研究室を動き、遠くから眺めては造作する。顎の下が弱いので形が決まらないのだと気づき、手を入れる。胸部は台座なので、あまり緻密に作っていやらしさが出ないようにと思っている。

レミオロメンの音を聞きながら作業する。先月亡くなったT君が好きだった曲だ。難病を抱え車椅子の生活をしていた。責任感が強く周囲のために心を砕いていたT君。よくサポートをしていた主人が、T君逝去後もらした言葉は「まだ彼の感触が残っているんだ」。音という媒体のせいだろうか、触知不可能な世界に逝ったT君のことが、やっとはっきり感じられた。よく生き抜いた彼のことを想う。泣けるのは残される者の痛みなのだ。こうやって手に触れている彫刻は、触ることのできない「記憶」によりそっている。

6月6日
長い会議の後、石膏取りに入る。まず雌型作り。ブルーシートを壁から床にひく。台に液体洗剤(剥離剤)を塗り、念のために濡れた新聞紙を敷きつめる。

切り金をいれる。後にここがフタになってはずれ、中の粘土を掻き出すことができる。石膏(水に反応して固まる素材)をとく。容器は学生時代に作ったシリコンのものが便利だ。水の中に同量の石膏を「おたま」で静かにふりこんでいく。石膏取りには台所用品が活躍する。最初は細かい部分に石膏がはいるよう、ゆるめにといたものを指ではじいていれる。2層めは朱墨をまぜる。こうすると入っていないところがよくわかる。3層めが終わったところで、細くしたスタッフを切り金まわりなどに入れ補強する。全体的に厚みをつける。石膏がまだ柔らかいうちに、切り金のラインを鑿を使って出しておく。頭と胸に棒をわたしスタッフでとめておく。

保育園のお迎えがあるので作業をやめる。石膏は水分を吸うので、粘土のかき出しが大変になりそうだが仕方ない。ビニールをかけておく。筑波では、年に3体の等身大塑像の石膏取りをしなくてはならなかった。徹夜しながら作業していた頃を思い出す。

6月7日
切り金のラインに少々霧吹きし、フタをとる。粘土を掻き出す。友土(同種の粘土)を押しつけて、表面をきれいにする。ざっと水で流してから、薄めた石けん水を二度塗り。表面がてかった感じになるまで乾かす。ゆるめの石膏を、雌型を動かしながら細部に回し入れる。届かないところはハケを使う。次にスタッフをはりつける。接合面をカッターで綺麗にし、フタ(後頭部)は半分だけスタッフをはみ出させ石膏を盛。フタをゴムバンドで固定する。端にスタッフを盛り上げ、木材を入れる。大野美術工房(鹿児島)に石膏原形を送る予定なので補強に念を入れた。

ここしばらく、週末は退院後の父がいる英彦山に帰省している。木の剪定やゴミ焼き、畑の手入れなどに汗を流す。父の手助けとはいえ、子供たちにとってもいい勉強だ。先週はハエたたきを壊した子供に父が「じゃあ作るか」と裏のシュロの葉を取りにいかせた。手作りのハエたたきだったとは私も知らなかった。人間として真っ当な生活があるなと感じる。毎週心身がリセットされるからだ。

2001年に、父は山伏さんと山頂にのぼった。(先祖が山伏だったご縁で)行者さんが権現様とコンタクトし「これから8〜10年後、原因不明の病気が増えるから英彦山の薬草で癒してあげなさい」と言われたそうだ。とりあえず今の父を元気づける薬草の勉強がしたい。

6月8日
雌型の割り出しにかかる。2層目に色をつけてあるのが便利だが、つい木彫なみに鑿を入れてしまう。明日は授業で詰まっている。来週から直付けで形を整理しよう。

バリの画家・クトウ ブディアナ氏が、藤原恵洋先生の研究室を訪れた。隣の私の研究室に顔を出されたが、割り出し中のすさまじい状況。しかしニコニコと喜ばれていた。言葉ぬきで何か理解し合えている感じがする。素材という現実に向き合い、何かを創るという日常の実践が響きあうのだろう。バリの寺院に奉納するお面を、日本の木で彫りたいとおっしゃる。寒立馬の端材(樟)を差し上げることに。日本の神社で樟をみてから、ずっと樟材を探されていたそうだ。

6月12日
フタのつなぎ目などを、ヤスリなどでなめらかにする。石膏の質感のせいか、若々しい感じになったような気がする。

石膏のくずを掃除する。雑巾がけをしながら妊娠中を思い出す。お産にいいからと、ほぼ毎日雑巾掛けをしていた。(それまでの掃除は掃除機だけだった)雑巾がけをすると、視点が地に近づく。子供たちはこんな世界をみているのだなと思う。地面への敬意を動作の中で感じるようになった。

6月13日
週末にシュタイナーの母子教室で「大理石ワークショップ」をすることになった。黒大理石の作品の破片を子供たちに磨いてもらう。(以前富山でもこのワークショップを行った)大理石は主に珊瑚などの生き物が堆積してできており、あたたかみを感じる素材である。石も加工すると香りがする。そこに人間のスパンを超えた時間の重みを体感する。

石を磨くという行為は、傷を細かくしていく作業ともいえる。つまり目の粗い砥石の傷を、さらに細かい砥石の傷で消していくのである。最終的に細かい傷は残っているのだろうが、いつの間にか輝いてくる。傷と傷がすり合わされて光になるというのは、示唆に富む事実だ。子供たちの作業時間を考え、グラインダーをバイスで固定しある程度形をだしておく。小さいものを用意しようと無理をし、何度か指を削ってしまった。→大理石ワークショップ

6月14日
石膏像を運ぶための木枠づくりをする。ぬき板の厚みが15mmあるので、底面と側面の寸法だしに毎回頭をかかえる。専門の方はどうされているかわからないが、経験上わかりやすい手順をまとめてみた。(→木枠の作り方

格子状に板を釘で打ち付け、組み合わせてビス(ネジ)留めする。フタになる部分はあけておく。クッションになるように毛布などを下に敷き、動かないように小割り(3×4cmの木の棒)を側面の間に渡す。

6月16日
寄贈先の団体のために制作経過の資料を作成する。(→制作過程PDFファイル)奨学寄付金という形で、大学の方に必要経費を寄付してもらう予定だ。幽閉という苦難を乗り越えた強さや、引き際の潔さ、先を見通す感性、気品などをテーマに制作した。福岡の繁栄の一端を担った人物である。恩返しができればと思う。

自宅では、仏壇に供えたお米を毎朝窓に出しておく。雀やカラスがそれをついばみにくる。本来野生の動物に餌付けをするのはよくないことだが、その姿がなんとも愛らしいので続けている。今度、カラスの木彫を制作しようかと考えている。西洋では嫌われているカラスだが、山岳信仰においては神の使いである。カラスの動作や目の動きをみると、物事をよく記憶し理解している感じがする。聡明で凛とした形ができないかと、デッサンをし始めた。

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  ブロンズ鋳造の経過→2007年1月

  →ブロンズ鋳造作品

 

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