彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。(2006年4月から)

2006年4月/5月/6月

5月1日
授業の合間に粘土をつけていく。中心に向かうような強い構造にしたいので、木槌で粘土をたたき込む。まだしっくりこない。後頭部とおでこの形が頭部で一番むずかしい。後頭部、おでこの部分、顎が接合する耳のあたりの形を模索している。
5月9日
5/7(日)に国展搬出のために東京へ日帰り出張だった。夜10時に空港に着く。寝付けなかった子供が空港まで迎えにきていて驚いた。かなりヘトヘトだったが、抱きついてくる子供の笑顔に癒される。

同行した千本木さんと「やはり首は基本だよね」と話した。佐藤忠良の「群馬の人」船越保武の「荻原朔太郎」という首の作品をみると、やはりすごいなと思う。

おでこと後頭部、こめかみやあご、ほお骨の関係がまた明確につかめない。頭巾の表現をどうしようかと悩む。木彫とちがって、粘土は可逆性が高いだけに、試行錯誤と悩みが増える素材である。

5月11日
作り込んだところが気に入らず削ぎ落とす、という繰り返しである。真正面の胸像はおもしろくないので、きもち右斜めに傾がせる。

非常勤の先生の授業資料を毎回作っているが、これが手がかかる。今日はゴッホとジャコメッティだ。ジャコメッティの絵は空間の密度が異様に高い。胸が痛くなるほどみつめ、求道者のように向き合っている。彼の「私の現実」という詩が好きで、以前部屋に飾っていた。

5月16日
如水に似た方にモデルになっていただく。お若い方なので、彫刻の雰囲気もかわったかもしれない。顎と首の関係は、自分の思い勝手では作れない。実際に生きた人の前に立つと、現実というものは自分の認識や記憶をはるかに上回るものだと驚愕する。

最近「農業と芸術の関係」への考察を深めるために社会学におけるユートピア論や松田甚次郎(宮沢賢治に関わる人物)に関する著作を読んでいる。生きのびるための経験の中で、精神的支えとして人間が生み出し続けたユートピア。現代人にとって実質的な労苦をともなう分野がユートピア化しているのではないかと、私は考えている。

5月18日
如水は幽閉中に頭髪が抜けてから、頭巾をかぶっている。頭巾は彫刻的にはおもしろいが、とても難しい。布で実際に作って感じを確かめる。試行的に粘土を置いてみた。胸部もどこまでいれるか検討中だ。

早朝に叔父が脳内出血で倒れ、右半身部随となった。叔父夫婦の家には手入れの行き届いた庭がある。あたたかい人柄に人の足が途絶えなかった。私も子連れで何度食事をお世話になったことだろう。叔父の存在を想うと、彫刻が彼の顔に似ていく。涙がこみあげた。

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