「あいだに在るもの」     

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山口進一:福岡県宗像市在住。ALS患者(筋萎縮性側索硬化症:筋肉が徐々に機能を失うが、感覚や知能は侵されないまま正常に保たれる病気)山口氏はパソコンを駆使して、ネットワークづくりを行っている。また自分の声でコミュニケーションし続けるために音のデータベースを作成中。彼の精力的な活動は、身体的ハンディ(特に高齢者、障害者など)を越えた新しいコミュニケーションのあり方を提示してくれる。


山口進一氏の圧倒的な存在感はいったいどこから生じているのでしょうか。
 私が彼と出会ってから常々考え、そして得た答えはとてもシンプルなものです。それは山口氏自身が「自分本来の意志とは何か」を明確に把握し、それを表現する勇気を持っている、ということにつきます。ALSという特別な病気を持っているからではないのです。ALSは存在感の〈契機〉であっても、〈理由〉とは思えません。
 自分を知り伝えるということ、「こうしたい」という自分の意志を具体的に感知することが口で言うほどたやすくないことは、誰もが承知していることです。本当の望みなんて実現不可能のような気がするし、バカにされるのが恐ろしくて口にもだせないのです。これが自分の望みだと思っても、よくよく見れば単なる見栄や体裁の産物だったりします。いや自分がどうしたいのかさえ分からない人間がほとんどです。
 

「私は表現しないと生きていけないんですよ」とサラリと書かれてあった山口氏のメールを思い出します。目から鱗が落ちる思いでした。私はその時、エイブルアート(障害者の芸術活動)に関するフォーラムを実行する立場にありました。その一言は実行委員会のメーリングリスト(e-mailによる会話システム)内にポストされたものでした。後ほどお話しますが、この時点で私はフォーラムのパネラーの一人として山口氏を推薦していたのです。私がフォーラムを通じて〈表現すること〉の意味を伝えようと肩に力が入りかけた時、あたりまえのように投げかけられた「そうしないと生きていけない」という言葉の軽やかさ。痛烈な切実さ−。
 表現行為は、アートだと騒ぐことでなく、強いて絞り出すものでもなく、生きることそのものに近いということをハッキリと感じさせてくれた一言でした。山口さんの心身の隅々にもともとあったかのような、借り物でない言葉は私の心を打ちました。私は仕事上芸術に関わることが多いのですが、アーティストの中にこんな自然にこの言葉を語れる人間が何人いるでしょうか。この時私は、彼の存在感の背後にある日々の闘いを垣間見たような気がしました。
 

彼本来の望みは、意図せず社会への強烈なメッセージとなっています。コンピュータによるALS患者同志のネットワーク作りは、ITの経済効果ばかりに眼を奪われている世間に、コンピュータが人々の身体的ハンディを補うツールであるという視点を与えました。自分の声で自分の意志を伝えたいという思いは、音声合成システムの研究そのものを推進する原動力です。飛行機に乗って国際会議に出席しようという意志は、障害者に対する飛行機搭乗の制限への問題提起となりました。また山口さん自身の人生への充実感そのものが、安楽死を合法化する方向性に大きな疑問符を投げかけているのです。山口氏がよりよく生きようという望みは、そのつど個性的な表現となり、豊かな人脈や現実を引き寄せているのです。表現とはこのように生じるのが自然なのだと、その後ろ姿が物語っています。

思い返すと私が山口氏にパネラーを依頼したのは、実は出会ったその日でした。役所で難病に関わる仕事をしている友人から「すごい人がいるから知足院さんに紹介したい。彼のコンピュータ機器周辺のサポートをしてくれるような学生が芸工大にいないかな?」という電話をもらったのです。私自身が障害者の芸術活動に関わり始めたばかりの頃で、何か学びたいという漠然とした思いから病院に向かいました。
 まず引きつけられたのは、聞く人を落ち着かせる山口氏の深みのある声でした。ALSのことや患者さんたちの活動について、彼はパソコンの映像にユーモアを交えて語ってくれました。終始私が山口氏に感じていたのは、(言葉になりにくのですが)強いて言えば「リアルさ」です。非常にシンプルに削ぎ落とされた真実味。生死から逃げず、地に足がついたあたたかみ。彼の頭部からのびる呼吸器と同様、コンピュータ機器をつなぐコード類のひとつひとつが、山口さんと世界を結ぶ生命線のように思えました。
 繋がりや一体感を持とうという思いは、人間の心の奥底に共通する感覚です。世界に対する愛情といえばいいのでしょうか。世の中には様々な形のつながりがありますが、山口氏の場合はそれが生きることと等価の深さに達しているようでした。何気ない言葉がリアルなのは、繋がりが彼の生命を支えているという点に迷いがないからかもしれません。私は直感的にパネラーはこの方しかいないと感じ、次の瞬間に交渉し始めていました。表現、自己存在、関係性などが私の中でのテーマだったからです。今考えると不思議な縁だと思っています。

パネルディスカッション(2000年10月7日開催)のテーマは「あいだに在るもの」でいこうと提案しました。この中で山口氏自身の声による音声合成システムが初めて公開されるということになり、期待が高まっていました。そこで流れた合成システムの声は、実行委員会*1で作った以下の文章を朗読し始めたのです。山口氏のあの声でした。聞いているうちに思わず涙がこぼれてしまいました。
 

「ひととひととをつなぐもの
 ものとものとをつなぐもの
 おもいとおもいをつなぐもの
 その存在がどんなものであるかはわからない
 だけど、見えないちから
 たしかに“ある”ような気がします」

 

本来「心」が生きることとは、他者(人間に限らない)との一体感を渇望し実現するプロセスなのかもしれません。しかしそれを私たちが素直に認めることを躊躇してきたのは、生死という真実でさえ軽く茶化した方がスマートといった風潮のせいでしょう。つまりまっすぐ向き合う勇気のなさゆえなのです。山口氏の腹が据わった野太い生き様に対して、敬意と共に、自分自身の可能性を信じる力を思い出すのは、私だけではないはずです。

エイブルアート福岡代表 /九州芸術工科大学(彫刻家)
                             知足院美加子

*1:中小路太志氏の協力を得たもの