彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。

2006年8月/9月/10月

8月29日
8月24日付けの作業日記にも記したのだが、大軍鶏(オオシャモ)の「垂直性」の美しさは、立つ(水平方向から垂直方向へ)という内的体験を与えてくれる。生物の形を借りて、感情に作用するこの「意志的なもの」を彫刻で表現しようとしている。

色鉛筆でデッサンしてみる。色鉛筆の硬さが、今の自分にしっくりくる。今回は鉄と木の両方で表現してみようかと考えている。中学時代に作った軍鶏(写真右)はリアルすぎるが、対象に誠実に向かい合っている感じがする。コンセプトでごまかしたりせず、素直にみつめハッと気づくといった(自らにとっての)本当のことから始めたい。脚の強さをもう少し自分に近づけたいので、デッサンをしばらく続けるつもりだ。

宮沢賢治の農民芸術概論綱要(「校本宮沢賢治全集13巻」)を読み、シュタイナーと通じるものを感じる。彼らは芸術や農業、精神世界を立体的なパノラマでとらえ実践することを想定している。なぜ今惹きつけられるのか、自分に問い続けたい

話変わるが、ここ数年よくアクセスするのが「うるまでるびののぞきあな」である。イラストレーターの子育て絵日記で、リアルなコンテンツとのびのびした線がいい。新作アニメーションの「Mr.カルパッチョ」も白黒で抑えてあり期待する。私自身クレイアニメーションにも興味を持ち始めているところである。

8月30日
午前中は勉強、午後は制作の準備をしている。シュタイナー著作の中で、彫刻に関するところなどを抜き書きした。→「芸術の贈りもの」 →「深い結びつきを求めて」

今から10年ほど前、シュタイナーが講義の中で使った黒板絵を集めた展覧会があった。私が英彦山で体験したことに被るような詩語があり、立ちすくんだことを思い出す。

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