沖縄「土の宿」ぐすくやま通信記事

→沖縄「土の宿」NPOまなびやーの説明(木村浩子さん)   

 沖縄・伊江島にある「土の宿」(1984年〜)は、画家であり脳性麻痺をもつ木村浩子さん(81才)が始められた民宿です。障がいのあるなしに関わらず「共に生きる」ことを学び合う場になっています→NPOまなびやーHP。土の宿発行の「ぐすくやま通信」の記事を依頼されました。その文章を転載します

 

伊藤若冲《糸瓜群虫図(部分)》 
出典:東京都美術館『奇想の系譜展』 日本経済新聞社,2019年 p.44

 

 

「キュウリ1本と貨幣社会」       

九州大学 知足(ともたり)美加子 2019年

木村浩子さん(土の宿創始者)が福岡に来られた際、私が「為替レートと利子の仕組みを考えたのは、きっと悪魔でしょうね。各国の〈キュウリ1本の価格〉を基本にしてモノの価値を交換したら、あっという間に世界のパワーバランスはかわります」と話したところ、「それはおもしろい話だから通信に書いてくださいね」と頼まれました。 

私が金融のトリックを体感したのは、30年前に青年海外協力隊(美術隊員)として中米のコスタリカ共和国に派遣されたときです。ボランティアとはいえ、生活費として毎月350ドル支給されました。日本円で3万8千円程ですが、これがレートのトリックを経ると現地通貨コロンで約24万円の価値になります。そのため私は、なにひとつ不自由なく生活できました。当時のコスタリカでは、円やドルはコロンの8倍(現在は5.5倍)の価値があると設定されていたのです。 

さて、この8倍という数字を決めたのは誰でしょう?それはインターバンク(銀行間取引)の仲介システムを提供する企業(EBSなど)と言われています。つまり、金融企業が「お金」の取引における需要と供給のバランスで決めているだけなのです。「金×金」の取引が、いつのまにか「価値×価値」に。ある国の価値ある生産物が、国境を経たとたん安く買いたたかれるのは、本当に当たり前のことなのでしょうか。1本のキュウリの価値は、キュウリのままなのに。 

さらに、協力隊の運営がODA(政府開発援助)の一環であることも考えさせられます。ODAは贈与でなく借金(債務)です。利子をつけて返さなくてはいけません。途上国に対する援助(ODA)のうち、例えば日本がアフリカに新たに貸し付けるお金よりも、アフリカから受け取る返済額の方がいまや多いのです。「利子」という化け物がいなかったら、アフリカの借金はすでに返済済みです。極端な話をすれば、先進国が豊かでいられるのは、「利子」というトリックによって、途上国のお金をいただけるからともいえます。 

1985年に「ライブエイド」という大規模なチャリティーコンサートが行われました。クイーンの映画《ボヘミアンラプソディー》でも話題になりましたね。当時の日本円で280億円の募金が集まり、アフリカに贈られました。しかしその金額は、アフリカが豊かな国々に支払う借金返済額の4日分にすぎませんでした。先進国から送った募金額が、4日間で先進国にもどってくることになります *1(→普川容子テープ起こし)。恐ろしい返済負担です。 

以上が「レートと利子のアイディアは悪魔の発案だ」という私の意見の根拠です。とはいえ、これらのトリックから逃れる方法は残されています。それは「人間が自分の庭にキュウリを植え、食べる」という方法です。自然物の価値をそのままに受け取るのです。もし通貨の違う国とやり取りする場合は、両国に共通する自然物の価値から、その国における価値基準を推し量ってみてはいかがでしょうか(キュウリ1本分の価値と比べてみる)。それを労働におきかえ、さらに労働と労働を交換することも可能です。夢物語でしょうか。ある日ある時、1071兆円もの借金をかかえる日本が破綻することもあるかもしれません。これは日本という国の税金の支出が税収を上回り赤字経済を続けていることを考えると、絵空事ではありません。その時私たちは、お金のトリックの恐ろしさを心底感じることでしょう。 だからこそ、自分の庭にキュウリを植えることから始める時かもしれません。「土」が生み出す価値は、誰に格付けされるものでもない実体そのものだからです。

 

 

 

1 普川容子「世界貧困と債務の関係」、知足美加子『未来につづく道-大地、生命、農業と芸術の融合による教育プログラム報告書』九州大学現代GP 2009年 p.30

 

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