彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。

6月5日
 5月22日に英彦山の祖母が99才で他界した。大往生であった。無職時代に英彦山で居候している間、行場や霊場、生活の知恵など様々なことを教えてくれた。帰省してのんびりしていると「親の家に来て掃除もせんとは何事か!」と厳しく叱責されたのがなつかしい。5月になると笹で編んだチマキを送ってくれたものだ。英彦山は神仏混合なので、お葬式前に「御霊移しの儀」というのを行う。暗くし「オー」という言霊とともに神官が魂を位牌に移す。棺内には参列者が榊(さかき)を捧げる。葬式前に火葬し、式後に納骨。(先代までは御輿にのせて移動し、土葬していた)49日は「50日祭」という。隣組(地域の組織)が実務をとりしきる。霊媒が現存する英彦山では、祖父没後しばらくたって「あの世の修行の方が厳しいぞ。いまのうち徳を積め」と霊媒が祖父の言葉を伝えたそうだ。(霊的奉仕ができないと霊界では居場所がないらしい)祖母も逝って、あの世を以前よりあたたかく感じている。子どもたちは喪服の私達を尻目に、いつものごとく川遊びである。冷たい川水に頭までつかって大喜びしていた。

 木彫も再開。複雑な象の頭部に苦戦している。教育大の千本木さんの紹介でSTHILというドイツ製のチェーンソーを購入した。軽く安定感があり切れ味も最高である。

6月8日
 木取りの最中である。素材があまりにもくせがなく素直なので、なかなか思い切って彫りにくい。刃を入れることに、なぜか気後れするのである。(彫らない方がいいように思えてくる)こういうときは遠回りでも少しずつ彫り進める。今日あたりから、やっと呼吸が合うような感じがしてきた。

 立ったまま寝る象だが、敵が少ない場合や子供などは座ったり、寝ころんだりするようだ。座っている象の資料が少ないので苦労している。しかしバリで象に乗った時の感覚が強烈なので、やはり背中の表現を中心に考えてしまう。映画「星になった少年」関連の本などには助けられている。先日訪れた「市原ぞうの国」の実話をもとに制作された映画である。主人公のモデルとなった哲夢さんは、主人と同じ年だそうだ。その彼女も7つ年上だそうで、私達夫婦と同じ年齢差。彼がもし生きていたら、どんな家庭をもったのだろうか、とふと思う。

6月14日
 紐で腰に蚊取り線香をぶら下げて作業している。蚊取り線香の香りには、夏の思い出が詰まっているから好きなのだ。

 「芸術が終わった後のアート」という本を読んだ。2007年以後のアートについてこの頃よく考える。文化多元主義から脱植民地主義へ、動的で複雑な関係性の中に生きることを、世界は受け入れたはずだった。しかし実際は複雑さや葛藤を引き受けず、内的な世界に閉じこもる(見たいものだけを見たいように見る)精神的空間に我々は逃避してしまったようだ。物質中心で利己的な世界に、魂自体が疲労しているのだと思う。

 政治・宗教やアートには、根本的に世界を救う力が残っていない。社会運動で啓蒙という手段も、既に過去のものだ。しかし、環境汚染や貧困、精神的荒廃が蔓延する世界を次世代に渡すわけにはいかない。その崖っぷちにいることは、直感的に感じている。私はやはり関わっているアートの世界で小さな行動を積み重ねるしかない。アートのユーモアと魅力と曖昧さは、人々の感情的な部分を開く。アートの可能性は4つあると考えている。「関係性の再構築」「押しつけずに気づきを与える」「(自然界にもともとあった)予測不可能な世界の回帰」「生きているという経験の実体を取り戻す」私が個人的に伝えたいメッセージとは利他性こそが人間の魂を支える力であるということだ。それを愛と呼んでもよい。しかしこの言葉は学問内には存在を許されていない。いろいろウンチクをつけながら作品に黙って込めるしかない。

6月21日

 

 産後からの貧血と体重減少で、疲れるのが早い。亀のような鈍さで作業をすすめている。後ろ足を接いだが、固定するのにゴムバンドが足らない。ラッシングベルトの方が効くようだ。

 日本画家の千住博・著「絵を描く悦び」を頷きながら読んだ。スーッと胸に響くのは、作り手の苦難が獲得していった生きた言葉だからだ。千住博は「描くものは必ず見つかる。何を通しても自分はでる」という確信を、スランプ後に得たそうだ。芸術とは「答え」でなく「大きな問い」そのものだと彼は言う。ー 最後まで集中力・気合いを持続させる強靱な精神力の必要性。作品の魅力は人物の魅力なのだから、負けないこと。(負けない人の絵は人に勇気と希望を与える)最小限のもの、自分にあるものだけを残すこと。客観的にみて隅から隅まで魅力的なものにすること。迷ったら描き込め。「一生懸命」ではなく「夢中」になって取り組め。技術より内容が上回っているくらいがちょうどよい。個性とは隠してもどうしようもなくにじみ出てしまうもの。大切なのは切り口の独創性。良いものはずっと前からあってもおかしくないような、普通で確かなもの。素直に見て感じることに普遍性がある。癖、こだわり、思いこみを捨て去ったとき「個性」が美しく残る。私はここにいるという叫びを相手に伝えようとする気持ちが大切。人の命を救うほどの絵、使命がある絵、そんな絵は世界から大切にされる。イマジネーションとは説明なしに伝わるもの。一流は「探す」という目つきをしている。ー 等々。励まされると同時に、これからも心を鍛える道が果てしなく続くことを感じた。

6月25日
 22日(夏至)にキャンドルナイトというイベントが各地で行われた。夏至と冬至の20:00〜22:00に電気を消すという試み。その時間自体を楽しみながら環境問題を考えようというものだ。おもしろいのは中心人物不在で、その行動が自主的、同時多発に行われることだ。「これからは不特定多数の無名(アノニマス)の作家たちによって想像力が喚起され、なんらかの情報の集積が姿を現すのではないか」と書かれていた美術書を思い出す。2001年に北米で起こった「自主停電ムーブメント」が起源らしく、2003年から複数の環境NGOと環境省などがよびかけ、今も続いている。

 2007年は転機だな、という感覚が私にもあったので、こっそりうちの家族なりにやってみることに。中之島公園に蛍をみにいき、帰ってからロウソクを灯してみた。かっこいいキャンドルはない。神前用のろうそくをカンカンのフタに直に立てる。(笑)子供達はホーリーな気持ちになっているようだが、なぜか大判エビ満月(せんべい)を静かに食べている。なんともいえない。大量に立てられるロウソクに、夫が「資源節約になってない」とつぶやいていた。

 私が感じたのは環境問題より「闇」の濃密な存在感である。電気がついていない状態、とはちがうものだ。ロウソクが灯ると闇があたたかく感じられた。イマジネーションを培ってくれる何かがあった。

6月26日
 

 上下をクレーンで入れ替え、腹の部分に手を入れ始める。面が次の面を教えてくれるようになってきたが道のりは遠い。私の中では形が見えているのだが、周囲の人々には「なんだ?これ」の状態である。

 昨日「誕生死」(三省堂)という本を読んだ。出産前後に子を亡くした方々の手記である。悲しみをそのまま表現できない状況。忘れたくないものを「忘れなさい」と言われる苦悩。家族、特に母親の中にある「生きていた子の記憶・証」を他者と共有できないこと。ー NPOエスタスカーサに寄贈した、私の前回の作品「触れたかった手に」を思った。これは明治のハンセン病患者さんが出産後「触れることも許されないまま自然死させられる我が子を見送った」という手記に衝撃を受け制作したものである。私は流産や死産など、子の死の経験を持たないので真にその苦しみを理解できないかもしれない。ただ私の作品は、人には告げられない悲しみや死を契機にしたものが多い。何もしてあげることがないと気づき、全く見当はずれな行為とわかっていても、思いを黙って作品に込める。思いながら木槌をふるい、鉄を叩き、石を磨く。それが私の祈りなのである。悲しみや苦痛への憐憫ではない。その眼差しから感じる世界に、無言で寄り添いたいだけなのである。

 無自覚でいることによる残酷さの数々を思う。昨年入院したとき子供が何度か見舞いに来た。後から向かいのベットの女性が子宮摘出の手術をした方だと知った。下手な励ましで、独身女性を深く傷つけたこともある。自然分娩のよさを話すときも、もしかしたら近くに不本意な出産を余儀なくされたり、子を亡くしたばかりの方がいたかもしれない。懺悔の思いも、作品に込めるしかない。沈黙・痛みの沈殿が、それでもなお温かいものと共にあってほしいと願う。

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