彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。

9月3日
 肺炎のワクチンを打ったので9月下旬頃には免疫ができるそうだ。それまではこの作業日記も、ただの日記である。彫刻ができない、と病院で嘆き焦っていたが、こういう時間を私の身体が欲していたのである。強迫的に彫刻に向き合う「時間貧乏症」を改めなくてはならない。

 9月1日に沖縄から木村浩子さんがいらっしゃった。脳性マヒの障害を持ち、左足の指で作品を描かれる画家である。沖縄伊江島で土の宿を経営されている。8月上旬に私達が土の宿にうかがった時、私の赤ちゃんの彫刻の写真をみて、「これを、一人でみにいきますよ。」とおっしゃっていたが、ついにそれを実行されたのだ。

 「会えた!」と彫刻と対面するなりおっしゃり、嬉しげに「ワハハハハ」と大笑いされていた。普段作家というのは、鑑賞者の反応を間近にみることがあまりない。木村さんの様子を横で拝見して「あぁ、作っていて本当によかった」とつくづく実感した。寄贈先のNPO法人エスタスカーサのこともスッカリ気に入ってくださったご様子。昼寝をしていかれた。

 「散歩に行こう。」と言われ、私は下の子をおんぶした。一人で歩いている上の子に「手を繋ごう。」と浩子さんが手をさしのべてくれた。途中蛇を発見したり、車椅子乗せてもらったり、子供達にとっては大冒険だった。その日の夜、上の子が「また浩子さんに会いたい。」と2,3回繰り返していた。苦難を受容してきた浩子さんの深みやあたたかさを、子供は敏感に感じとり惹かれていた。

浩子さんはこの後「こんちくしょう- 障害者自立運動の先駆者たち」という映画を紹介するために、制作者と共に韓国に渡られるそうだ。ご自身も「平和を運ぶ車輪」( Peace on Wheels)という映画を作られているところだ。→「平和を運ぶ車輪」プロジェクトHP

 来年、木村さんが「このエスタスカーサで二人展をやりたいね」と持ちかけてくださった。あの空間でやることには意義があると思う。私は木村さんに「自画像描いて下さい。70年分の時間がこもったものを」と思わずリクエストしてしまった。

9月7日

 名古屋まで、河合正嗣氏の展覧会を観に行った。河合氏はデュシェンヌ型筋ジストロフィーを患いながら、入院患者や病院スタッフのデッサン「110人の微笑む肖像画」を描き続けているアーティストである。今回、足助病院全体を展示会場とする斬新な展覧会を行った。病院の空間全体から根源的な問いを発信している。

 病院内に外部のものとして鑑賞者は訪れる。どんな美術施設にもない命の現場のリアリティと作品群は、観るものの深い部分に静かに届く。この展示空間は、彼の生を支えた関わりと、場にとって痛いほど必然的だ。私はこの必然性の強さに圧倒された。

 高橋伸行氏(名古屋造形大学准教授)が、この展覧会のプロデューサーである。二人はアーティスト同志の阿吽(あうん)の呼吸で協働している。高橋氏だけでなく関わった人全てが、主体的に動いている。

 いきなりこの企画を病院に持っていっても実現不可能であろう。早川院長(足助病院)と河合氏、高橋氏のこれまで真摯な関わりがあって、生まれたインスタレーションである。私の所感等は以下のページにまとめている。→ 河合正嗣展'07 所感

10月1日
 2ヶ月ぶりの制作で初心にかえりドキドキしていた。しかし彫り始めると、昨日まで制作していたような感覚になった。時間を忘れて形に集中していると、何か確かなものに触れるのであった。寿命が縮んだとしても彫刻を作りたいと心から思った。

 制作中、スズメバチが彫刻のまわりを飛び回った。最も近づいた時、羽ばたきの風で彫刻の木くずがフワッと舞い上がった。その一瞬の緊張感と美しさに息をのんだ。美というものは、一瞬が永遠に感じられる中に潜んでいると思った。

 9月は後期から新しく持つ授業や、美学会ゼミナールの発表準備で(障害と芸術をテーマにまとめている)すぎていった。逝ってしまった人もいた。義父が胃ガンで死を迎えたのだ。最後まで告知していなかったが、本人は悟っていたようだ。「お父さんにありがとう、って言った方がいいよ」と、いつものように夫を送り出したその途中で、様態が急変した。夫はありがとうと言えなかったが、足をずっとマッサージしたそうだ。「死ぬのは他人ばかり」というデュシャンの言葉を、寺山修司も好んでいたという。死の体験は永遠に共有できない。語られる死の悲しみは、残されたものの痛みである。あの世に去った人々の笑顔ばかりが思い起こされる。関わりや思い出の優しさに胸がつまる。人は、繋がりがあるから生きていけるし、死んでいけるのだ。

 9月末に大阪まで劇団・態変の公演を観に行った。態変は障害を持つメンバーから構成されたパファーマンス集団である。だが彼らの表現は、慈善的な古典的障害者観とは全く別文脈の純粋表現だ。野外の特設テント内での公演だった。彼らの身体への意識は深く強い。圧倒的な存在感だ。動きのひとつひとつが、自然でありながら徹底的にその人独自のものである。それらが舞台で響きあうとき、人間の存在全体がイメージされるのは不思議だった。

 今回の公演は、1960年代に実在した脳性麻痺者たちの共同体「マハラバ村」をモチーフにしている。断種や堕胎で障害者の生を否定してきた日本の歴史を、全ての人間の性(さが)を通して普遍的に表現している。身体の動きから目が離せない。舞台奥が急に開かれ、実際の闇に消える彼らの姿を追う。全生園(ハンセン病患者療養所)を歩いた時のことがふと思い出された。言えなかった思い、沈黙の沈殿が開いたような感じがした。「戦争や隔離の中で虐殺された人々と、自由のために捧げる」と舞台挨拶で主宰者・金満里は語った。生の根本を開く現代的表現であった。

10月3日

 

 昨日は思い切って代休をとった。義父のお葬式の日が、ちょうど下の子の誕生日だったのだ。そのため予定していたウルトラマンランドでの誕生会をキャンセルした。あまりに楽しみにしていた約束だったので、10日後の上の子の誕生日に二人分の誕生会をすることになった。

 タロウとステージで体操、ガイアにサイコロゲームで勝利、コスモスにケーキを運んでもらい、大興奮の子供たちだった。嬉しそうな彼らをみて、亡くなった義父も安心されただろうと思うと、涙がでた。

10月11日
 週末は、北海道大学で行われた美学会全国大会に参加した。当番校企画で「美学と文化多様性」というテーマのゼミナールがあった。私は「美術と臨床」というゼミで、障害をもつ人々の表現について発表した。微細で誠実な立ち位置を探して、揺れ続けなければならない深い問題なのだ。予想していたより、活発な意見交換がなされ、私にとっては本当に意義深い時間となった。咀嚼するまで時間がかかるが、ゆっくり整理していくつもりだ。

 家族も途中で合流し(学会中は旭川の動物園で連ちゃん)二風谷の貝澤氏宅に向かった。貝澤氏とはアイヌ民族問題に関わる二風谷プロジェクトでお世話になり、ずっと交流が続いている。自然林を作るチコロナイ活動も少しだけ手伝えた。(子供たちはミミズに夢中だったが)

 貝澤さんご夫婦を、夫のNPOエスタスカーサに3月頃招くよう話が進んだ。貝澤美和子さんに、アイヌ語地名のレクチャーを受けたりと充実した時間をすごした。ログハウスで薪の炎を眺めながら、様々な思いがよぎった。風化させてはいけない記憶を、どうやって共有し命を与え続ければいいのか、と。

(写真は二風谷プロジェクトの作品前の子供たち)

10月18日
 制作にもってこいの時期に、科研費の申請締め切りがせまる。冬季に外で制作するしんどさを思うと、パソコン前に座る時間を惜しく感じる。しかし科研費申請者が教員の7割をきると、部局自体の予算が削られるという、プレッシャーをかけられている。

 造形発想法演習で、海にでかけた。漂着物を拾い、フォトグラムと鉄の彫刻のモチーフにする。最後、砂の上にデッサンさせた。

 学生たちを待つ間仕事をしようと書類をもってきていたが、海を眺めていると密な時間が流れた。仕事はどうでもよくなった。学生たちも素にもどって裸足で歩いたり、ボーっとしている。海を前にした人間の感情は、太古からたいして変わっていないだろうな、と思った。

波を追いながら「素直に感じる心から始めよう」と改めて思った。机の上でこねくり回したコンセプトではなく、本当に感じたもので作るのだ。波や風のリズムと、生きる歩調を合わせていきたい。

10月22日
 

 恩師の柴田善二先生の彫刻展が終了した。(福岡教育大の千本木研究室が搬出搬入などを黙々と支えていた)先生からいただいたものは数知れない。しかし面と向かうと照れくさくてなかなか伝えられないものだ。

 ひとつ心に刻まれているエピソードがある。先生の研究室を訪れた時、戸棚にある小さな女の子のテラコッタ(焼き物の彫刻)に心惹かれた。ざっくり作ってある座像で、祈っているようにみえる。聞くと、いつもの博多弁で「おまえのずっと上の先輩が、この間研究室に来たったい。自分の子供が不治の病で死にかけようらしい。話してどうなる、という訳やないけど、話していったったい。そいつが部屋を出て行ったあと、作ったと」と答えてくれた。

 その先輩を元気づけようとか、それをテーマに作品化しようとか、そういった恣意的なものは一切ない。彼女が去った後、その静けさの中で、先生はただ作ったのだ。このことは私の心の深いところに刻みつけられている。

 先生の作品や生き様の底辺に流れているものは、存在への深い洞察と愛なのだ。シンプルで力強くユーモラスだが、それだけではない。生きていくものの孤独や悲しみが含まれている気がする。そういったものが全てあたたかさとして感じられるところが、先生のすごいところなのだ。

 

柴田善二彫刻展

2007年10月16日〜21日

福岡市美術館

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