創刊66年の伝統がある『週刊読書人』(→週刊読書人HP) という書評新聞 があります。編集部によって厳選された書籍について、多様なジャンルの執筆者たちが評論を書いています。私もこれまで依頼があった2冊の書評を書きました(→『アイヌのビーズ』→『風のイメージ世界』)。今回依頼されたのは職人と芸術家について書かれた土田昇『瀏瀏(りゅうりゅう)と研ぐ』です。土田さんは尊敬すべき素晴らしい職人です。本著の後半は高村光太郎の道具を軸に展開します。9年前に沖縄で出会った彫刻家・金城実さんが「芸術の戦争責任」に対して痛烈な批判をされたことが思い出され(藤田嗣治や高村光太郎に対して)、深く悩みながら筆をすすめることとなりました。

(金城実さんの記事)→https://www.design.kyushu-u.ac.jp/~tomotari/kinjyou.html

→書評『瀏瀏と研ぐ』 PDF

 口絵に著者・土田昇が研いだ鑿の画像がある。それは、寒気がするほど清らかな月光が広がる風景のようである。私は、時間と所作が刻まれたその存在感から目が離せなくなった。 土田は、木工手道具全般の目立て、研ぎ、すげ込み等を行う技術者である。本著は筆者の鍛冶場風景からはじまり、「木工手道具によってつながる職人と芸術家たち」が職人の視点から語られていく。次第に物語は、彫刻家・高村光太郎が依頼し道具鍛冶の名工・千代鶴是秀が制作したとされる一本の彫刻刀へとフォーカスしていく。この彫刻刀の素材は玉鋼ではないか、なぜ共柄のアイスキ刀なのかと、著者にしか紐解けない問いに向きあう。そして意外にも、「芸術の戦争責任」という日本美術史に埋もれてしまった問いを「道具」から照射していくのである。 ここで紹介される職人たちの魅力的な逸話は、著者の血肉の通った実践の中で汲み取ったものである。そこに学術的研究者にありがちな高慢はなく、職人道徳にもとづく謙虚さと観察眼が滲む。特に「作業感触」という響きがもたらす感覚は新鮮だ。「(鍛接する)一瞬の成功の感触」、「素材を感触として味わう自然」、「(槌が耳横を通る)スッスッという気配」など、身体と五感を投じた者からしか生まれない詩的なリアリティがある。職人の手と意識が、鉄・火・石と接するときのイメージは、この「感触」という言葉以外では表現しえないだろう。 土田は、鈴木実や岩野亮介の彫刻を「美しく実用性が低いものだけが引き起こす不思議」と表現する。芸術の面白さのひとつに、技術的な上手下手と、作品の良し悪しが必ずしも連動しないという点がある。上手すぎたピカソは、子供のように描くために一生をかけたという。芸術の新規性は、既存の概念を乗り越えることにある。だが職人にとって、上手さは善であり使命だ。乗り越えるべきは先人の技術である。この二つのベクトルが接する点を、土田は「芸術家や工人の物質解釈と作業感触の不思議」に見出す。理解不能な感覚が溶け合う不思議には、創造の感動と共に「その感触は自分だけのものなんだから」という孤独がある。 本著は彫刻家であり詩人の高村光太郎に多くの紙面が割かれる。彼は仏師の技術を近代彫刻に繋げた高村光雲を父にもち、高度な彫刻技術を有した。留学後は、妻・智恵子との暮らしの中で《手》《鯰》などの素晴らしい彫刻作品を生み出す。精神を病む智恵子との現実は詩集『智恵子抄』の美しさに昇華され、彼の徹底した美の希求は戦争賛美詩に連続してしまう。光太郎は戦争加担への悔恨から、戦後7年間、岩手県の山奥に隠遁したという。この頃の光太郎は彫刻を作らず、詩稿『暗愚小伝』や「書」を手がけた。前述した共柄の彫刻刀は、書の落款印制作のために依頼された可能性もある。国威高揚に芸術を用いた高村光太郎と違い、千代鶴是秀は「刀は打たぬ」と軍刀を作らなかった。「名刀は、その見事な鍛えを見ただけで世の中が収まるようなもの」と言い、千代鶴の刃は人を殺めず、創造を支えた。そもそも日本美術界が戦争責任に対して真摯に向き合ってきたとは言い難く、私にとって高村光太郎は捉えどころのない人物の一人だった。 「道具」からみる平等性は、高村光太郎のある一面を鏡のように映し出す。著者の目は、光太郎の道具に関する造詣の深さや、制作時間の2・3割を研ぎに費やしたことを見抜く。そして父・光雲からの「技術相承の面影」と、染み入るような「孤独」を感得する。光太郎は、どのように抵抗したとしても本質的に「職人」だったと推察される。父、智恵子、戦争さえも形而上的な美の中に固定してしまった高村光太郎。憶測だが、静寂と平安の中で道具と向きあう間は、彼自身のままで世界に触れていたのかもしれない。本タイトルの「瀏瀏(りゅうりゅう)と研ぐ」は、高村光太郎の「鯰」という詩の中に登場するフレーズである。宗時代の詩人・謝恵連が、湖に映る月を眺め、吹きぬける清らかな風を「瀏瀏」と表現したことを受けたと考えられる(亭亭映江月、瀏瀏出谷飆)。水にうつる月光、孤独、晴明な風の風景は、どこか土田が研いだ鑿の刃裏の佇まいに似ている。

〈2024年6月28日 知足美加子〉 

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