彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。(2005年12月から)

3月3日
3月というのに、午前中は雪がちらつく。

今日は後ろ足中心で作業しようと決めていたのだが、あちこち手を入れたいところが目に入る。首や前足、腹などを彫り、ようやく後ろ足にかかった頃は手が疲れ切っていた。彫刻は一日がんばっても、ほとんど進んでいないように感じる。しかし一日分の思索や手業は、木がじんわり受けとめていてくれる。その時はわからない。しばらくして、やっとわかる。こういうスパンの仕事ができている間は、自分を見失わないですむのかもしれない。

3月8日
昨日は保育園の誕生会。その後久しぶりに友人にも会い、ゆっくりとした時間の流れを楽しむ。子供がツクシをとってきたのでハッとした。春なのだ。こういうことに気づけないほど、すり減った生活をしているなと思った。ギリギリまで制作し、帰宅してからの3時間で子供の世話と家事をこなさなければならない。作品や大学関係の仕事、家庭のことで今、頭がクラクラしている。

独身時代から作品完成前というのはナーバスになっていた。9割進んだぐらいが一番きつい。9割までは今までの自分の容量でこなせる。あとの1割は越えられるかどうかわからない地平なのだ。だいたいいつもその辺で息がきれる。忍耐と気力といったら古くさく聞こえるが、それしか術はない。精神的にもろいところがある私は、こういう課題を与えられないと成長しないだろう。

明日からは鑿中心の仕事が始まる。

3月15日
週末の仕事が重なり、子供たちの方がダウン。週明け保育園から呼び出しがかかり、あわてて振り替え休日をとった。3/24に農学部で行われるフォーラム「先導的な食育と地域農産物のブランド化〜芸術文化を取り込む」(ポスターダウンロード)のプレゼン資料(3/20にも入っている)を合間をみて作る。

今日やっと制作できる。半日の作業量はほんの少しだ。頭の部分を、木の元(根の方向)を使っているので、目割れがひどい。そのまま、たてがみの質感に利用する。耳も目割れの被害にあわなければよいが。もっとつめて彫ってみたいと気持ちはあせる。しかし限られた時間のおかげで案外説明的にならずにすんでいるのかもしれない。

3月16日
今回は一寸六分(幅48mm)の鑿が活躍している。がっちりしているので思い切って彫れる。夕方付近は疲れ切っているが、次々手を入れたくなりやめられない。片づけながら休憩すればよかったといつも思う。でもこの負荷は誰に頼まれたものでもない。自分が自分に課した挑戦なのだ。

終わり際、学生が声をかけてくれる。彫刻の周りを歩き「どうやって彫ったんですかぁ。すげぇー。いい香り」とニコニコしている。素直な言葉にホッとする。香りだけは記録媒体がない。その人が感じ、その人だけの思い出になる。建築家をめざすその学生に、何かが残っていてほしいと思う。

3月17日

恩師の柴田善二先生である。足の補強などご教示していただく。本当の事しか言わない爽快な方で、会うといつも元気になる。

「馬の形を借りて『彫刻』を作らないかんったい。表面的な形にとらわれたらいかん。もっとスキーッと。力の響きと心棒を感じて作らな。目のつくりとか説明せんでよか。」頭が整理できてやる気がでてきた。とにかく形にしようと気が焦って、かえって『形』から遠のいていくところだった。〆切まであと二週間、ポイントをしぼって力をつくそう。

3月27日
24日(金)は農学部実験農場でのフォーラムだった。農学部の方々はほんとうによく体が動かれる。プログラムのひとつひとつに素朴なあたたかさと心配りがあった。学生さんたちの野外演奏、手作りの野菜菓子によるお茶の時間(食育を意識しての)。あれほどくつろいだ雰囲気のフォーラムはなかなかつくれない。藤原先生の八女でのまちづくり実践報告、坂本君のジャンボタニシ染色、岡野先生の鶏を中心にした食育のお話、中司先生のアートトリエンナーレの報告など、どれも聞き応えのあるお話ばかりだった。設置などで尽力をつくされた鳥飼さんや池田さんなどの技官の方々や有川さんら学生の皆さんに心から感謝している。→プレゼン資料(flash)

私自身も、二風谷プロジェクトのことや彫刻の基本理念まで、分散していた意識が繋がってきた感があった。(出産というのは彼岸のようなもので、出産以前の意識と再び繋がるのは至難の業である)農と彫刻の関係について、今後もう少し実践と思索を深めたいと思った。7年前北原恵氏がインタビューしてくださった記事を、自分の原点を思い出すために再読した。→インタビュー記事

↑翌週、柴田先生が「おまえの木槌(左)はつぁーらん」といい、なんとご自分の木槌を譲ってくださった。

3月28日
最近大学の後輩(うってぃ)から心のこもった贈り物をいただいたり、恩師にお世話になったりと、人のあたたかさが身に染みる。卒業式も終わり(授業準備をのぞけば)時間を自由に使えるようになり嬉しい。4/6が搬入だ。吹雪に立ちすくむ寒立馬への共感から始まった制作だった。人間も人に言えない悲しみを抱え、過酷な状況の中でたくましく生きている。(ふと以前読んだ本の抜粋を再読してみた→二冊の本)自分の愛情と技術と体力の限界が目に見えるから、今の私に表現と行動が必要なのだと思う。
3月29日
週末父の見舞いにいくことになり、制作出来る日はあと5日になってしまった。そんな時にかぎって、よく使う鑿が手元から滑った。下はコンクリートだ。目も当てられない損傷にガックリ落ち込む。鑿研ぎが上手でない私は、ただでさえ時間がかかる。研ぎ場でため息をついていたら、技官の方(津田さん)が声をかけて下さった。技術を生業にしている人というのはやはりすごい。(私にしてみれば)あっという間に修復された。ひたすら感謝である。他の技官の方々(笠原さん、徳永さん、竹本さん)の心遣いもありがたい。手に技術をもち実働する人々は、たよりになる存在である。
3月30日
神田日勝(にっしょう)という北海道の画家がいる。農業のかたわら独学で油絵を学んだ。昭和45年、32才で急逝。ベニヤ板に描かれた「馬」という作品が絶筆になった。この作品はすごい。鼻先の立体感、心棒の通った脚。生活を共にしている観察眼は真実をとらえている。日々の行いがまるごと表現として躍動している感がある。「結局、どう云う作品が生れるかは、どう云う生きかたをするかにかかっている。どう生きるのか、の指針を描くことを通して模素したい。どう生きるか、と、どう描くかの終りのない思考の、いたちごっこが私の生活の骨組なのだ。(神田日勝)」という言葉に頭を垂れる。
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