私は東日本大震災(2011年)から、ダチョウにこだわっているようだ。福島第一原発がある大熊町のダチョウ園から、震災後10羽のダチョウが脱走した。「少しのエサで大きく育つダチョウのように、小さなウランで大きな電力が得られる原発」として、ダチョウは原発のイメージモデルだったという。立入り禁止区域の路上を歩き回るダチョウの姿は、シニカルな悲しさをまとっていた(→ CNN.co.jp 2012.3.20 )。震災後から始めた「福岡エルフの木(福島の助産院や仮設住宅に、週一回野菜を送る活動)」も、ダチョウをシンボルにしている。細々とではあるが、この活動も5年続いたこととなる(→福岡エルフの木ブログ)。
私の手元に脱走したダチョウが掲載されている松村直登氏の写真集がある(太田康介『しろさびとまっちゃん』メディアファクトリー、2015年)。彼は「福島ラストマン」と呼ばれ、警戒区域の中で取り残された犬猫や牛、ダチョウなどの動物たちを引き取り、育てている(→映画《ナオトひとりっきり》)。彷徨っていたダチョウに餌をあげたところ、松村氏の車を追いかけてきたそうだ。生命に向き合って淡々と生きる彼の姿はどこかあたたかく、心を落ち着かせる力をもっている。
皮肉にも立入り禁止・警戒区域内は、動物たちにとって自由の園である。人間という種だけがいない。彼らのあり様を眺めるときに感じるこの強い感覚は何なのか、と随分考えてきた。たぶんそれは「不在の感」なのだろう。不在だからこそ感じる強烈な存在感。それを形ある彫刻として表現しようとして、模索を続けている。
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