沖縄「土の宿」ぐすくやま通信記事

→沖縄「土の宿」NPOまなびやーの説明(木村浩子さん)   

 沖縄・伊江島にある「土の宿」(1984年〜)は、画家であり脳性麻痺をもつ木村浩子さん(79才)が始められた民宿です。障がいのあるなしに関わらず「共に生きる」ことを学び合う場になっています。2014年よりNPO法人化しました→NPOまなびやーHP。私はこの活動の理事をお引き受けしており、土の宿発行の「ぐすくやま通信」の記事を依頼されました。その文章を転載します

「いのち」をテーマにした彫刻と震災支援活動 

九州大学 知足美加子(2016年)

 「いのち」の大切さを伝え続ける浩子さん。彫刻家の私を浩子さんに近づけてくれたのは、命をテーマにしたひとつの木彫でした。この彫刻と、現在行っている被災地支援活動の繋がりをお話したいと思います。

 2007年に私は赤ちゃんの姿をモチーフにした《触れたかった手に》という彫刻を作りました。明治期のハンセン病療養所の新生児が、自然死させられていたという記事を読んだことが契機でした。患者は出産後の子に触れることもできなかったのです。二人の子供を産んだばかりの私は、心に杭を打たれたようになりました。母親は、せめて我が子の小さな手に触れたかったでしょう。「これから生まれ来る子供たち全てが、愛され生きる世界をつくらなければならない」という思いを作品に込めました。

 私が初めて土の宿を訪れたのは、この木彫を発表した年でした。作品の写真を浩子さんにみせると、「この作品を観にいきますね」というお言葉。(関係者の皆様はよくご存知かと思いますが)不言実行の浩子さんが、おひとりで福岡空港に来られたという連絡を受けた時には、心底驚きました。浩子さんはこの作品の真意を一目で見抜かれ、とても大切に思ってくださるのです。大変ありがたく、作家冥利につきます。

(浩子さんの置手紙)

 「いのち」のテーマは作品だけでなく、その後の震災支援活動に繋がっています。第一子の出産予定日が9.11テロの日だった私はテロの映像にショックを受け、出産がかなり遅れたのです。この経験から東日本大震災の際、妊産婦さんや子供たちの心と体に思いを馳せずにはいられませんでした。彼らに寄り添う活動として、福岡の無農薬野菜を週一で被災地の助産院や子育てサークルに送るという「福岡エルフの木」プロジェクトを続けています。熊本震災時に、真っ先に反応してくださったのは福島の助産師や母親達でした。避難所にパーテーションが必要なこと(女性の保護、障碍児のクールダウン)、救援物資関係の問題など、経験者でなければわからない貴重な助言をいただきました。川内原発を停止させなかったことをうけて、「福島の経験は何だったのか」と涙を流される方もいらっしゃいました。11月より、熊本も福島も支援するために「熊本有機の会」の野菜を福島に送る予定にしています。

  また森と人間の暮らしを結びなおす「熊本震災支援・板倉の家ちいさいおうちプロジェクト」も並行して行っています。熊本の森林資源を活用し、板倉という木造建築方法で避難小屋や復興住宅を作る活動です。私自身が英彦山(ひこさん)山伏の子孫なので、山が人の魂の拠り所となり、木や岩で水を育み、川に流れだす有機物によって海に養分を与えることに深い畏敬の念を抱いています。この通信の名前は「ぐすくやま」ですが、「いのち」を育む存在への祈りが込められているのではないか、と私は考えています。

 

 

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