「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響を受けた英彦山修験道美術の研究および信仰対象としての再現―鋳造製彦山三所権現御正体と木彫不動明王立像−」
知足美加子(九州大学芸術工学研究院准教授・彫刻家)
(報告書抜粋)→全文(PDF)
本稿は、2016年に英彦山(ひこさん)神宮奉幣殿再建400年記念事業の一環として行われた「廃仏毀釈の影響を受けた英彦山修験道美術の研究、および信仰対象としての再現 ―鋳造製彦山三所権現御正体と木彫不動明王立像−」について報告するものである。再現の対象は国指定文化財の《彦山三所権現御正体(みしょうたい)》(鎌倉時代13世紀)、《不動明王立像》(鎌倉時代)である。
廃仏毀釈とは、明治元年(1868)明治政府によって出された神仏習合(しゅうごう)を禁じた命令(太政官布告、神祇官事務局達、太政官達)を機に、全国に起こった仏教排斥運動を指す。福岡県にある英彦山は、羽黒山(山形県)、熊野大峰山(奈良県)とともに日本三大修験山のひとつとされる。江戸時代の最盛期には「彦山三千八百坊」(3000人の衆徒と800の坊舎)といわれ、九州地域の崇敬を集めてきた霊山であった。しかし、明治維新の廃仏毀釈と神仏分離令、修験道禁止令(1872年)によって、神仏習合および仏教に関わる文化財の多くは人為的に破壊された。口伝を主とする修験道文化の伝統は、ほぼ途絶えている。
このような現状を踏まえ、廃仏毀釈によって破壊もしくは破損状態のまま遺棄された英彦山の宗教遺物を、造形的観点から調査する。さらに、それらを新たな信仰対象として再制作する。この取り組みは英彦山神宮が願主となったもので、英彦山修験道文化の重要性を再考し、地域社会の矜持(きょうじ)に貢献することを目的としている。
本報告書では、主に再制作における造形根拠や制作プロセスについて説明を行う。本事業は、制作統括と彫刻を担当した筆者が造形の責任を負っているが、後述する22人の貴重な技術と知識、労力が結集して成し遂げられたものであることを強調しておきたい。
(中略)
廃仏毀釈の影響を考えながら、彦山三所権現御正体と不動明王を新たな信仰対象として再現した。彦山三所権現御正体では、意匠の分析から廃仏毀釈の影響と3面の発見場所の違いについて考察を行った。また神仏習合の表象が意図的に省かれたことを明らかにした。不動明王立像では破損個所の分析から、廃仏毀釈時に光背の破壊がその後の両足の損傷をまねいたという可能性を示した。
筆者は、知足院(ちそくいん)という英彦山修験者(衆徒(しと)方)の子孫である。明治期からの先祖の苦労に思いを馳せながらの制作となった。自らが信仰していたものを破壊しなければならないという矛盾への「葛藤」を痛感した。今回の信仰対象制作は、先祖の悲願でもあるだろう。観て分析すること以上に、作ることで理解できた英彦山修験者たちの智慧と技術があった。筆者の専門は彫刻(国画会彫刻部会員)であるものの、特別に仏師としての修行をしているわけでない。だが再制作によって、先祖たちの精神性に僅かに近づけたと考えている。再制作された信仰対象は、2016年11月3日、奉幣殿再建400年護摩焚きの際公開された。この記念事業を通じて、山川草木を神仏と考え「習合」という共存共栄の精神をもつ修験道の本質が息を吹きかえすことを願っている。英彦山神宮をはじめ、多くの協力者たちに心から感謝申し上げる。
願主:
高千穂秀敏、高千穂有昭、門純一、山本直也(英彦山神宮)
制作統括・彫刻:
知足美加子(九州大学芸術工学研究院准教授、彫刻家)
鋳造:
石上洋明(鋳造責任者、九州大学ソーシャルアートラボ職員)
堤 亮一(九州産業大学芸術学部助手・鋳造分担者)
江藤日出男(福岡教育大学名誉教授・知識、技術提供)
宮田洋平(福岡教育大学教育学部教授・知識、技術提供)
新 啓太郎(九州産業大学芸術学部講師・知識、技術提供)
津田三朗(九州大学芸術工学府工作工房長・鏡面修復、技術提供)
藤瀬大喜(Jackalope Studio 造形作家・作業補助、撮影)
佐々倉由美(九州大学ソーシャルアートラボ職員・作業補助、撮影)
伊東佐知子(九州産業大学芸術学部4年生・彫金作業補助)
3Dデータ技術提供:
河田尚子、宮田庸佑(九州大学芸術工学府博士前期課程学生)
工作機械技術提供:
笠原和治、福澤萌(九州大学工作工房職員)
知識提供:
岩本教之(添田町役場職員)
狭川真一(元興寺文化財研究所副所長)
角本尚雄(雁回山長寿寺木原不動尊住職)
杉岡世邦(杉岡製材所・素材提供)
*本研究はJSPS科研費 16K02314の助成を受けている。鋳造関連経費は英彦山神宮から助成を受けている。