《捨身月兎》

 

 

 《雉ノ火消シ》という作品を制作した際、あらためてジャータカ物語(仏陀の前世の逸話を集めたもの)を読んでみた。そのひとつに「兎の話」というものがあった。これは月の影がなぜ兎の形をしているのか、という由縁となった話である。「天の王(帝釈天)が老人の姿で施しを求めたが、兎には何も与えるものがない。自分の無力を嘆いた兎は、火に飛び込み自らを食として捧げようとする。ところが火は涼しく、その老人が帝釈天であったことを知る。兎の慈悲に感銘を受けた帝釈天は、兎を月に上げた」という。

 火に飛び込む意志の力と、銀色の月の光は、どこか似ている気がする。まさに飛び込まんとする鋭い動勢を表現したいと思った。そこでまず、近所の兎カフェを取材した。ここの兎は人懐っこく可愛い。しかし何かイメージと違う。撫でながら骨格を確認する。兎の骨は、か細い感じがした。

 英彦山の講演会で登壇した帰り、ものすごい勢いで車の前を横切ろうとしたものがあった。野ウサギである!走る野生の兎を見たのは、初めてであった。自然界の兎は想像以上に強くしなやかで、細く長く無駄なもの感じない。全身で世界を感じているような鋭敏さがにじみ出ていた。「このタイミングでイメージ通りの兎を見るなんて、こんなことがあるのだろうか」と心から感謝した次第である。そこからイメージして木取りをしたところ、制作途中を見かけた生協売店の方が「躍動感がありますね」と話しかけてくださった。意図したものが伝わっていることを感じ、嬉しく思った。

 2017年7月5日に、九州北部を豪雨が襲った。実家の英彦山(ひこさん)の山内は無事だったが、周辺の東峰村、朝倉、杷木、日田、添田町などは、土砂崩れと河川の氾濫で甚大な被害を受けた。→福岡エルフの木 九州大学では「2017九州豪雨災害調査・復旧支援団」を作り(教員42名)現在被災地支援を行っているところである。

 豪雨災害後、英彦山の父に会いに行った。その帰り、飛ぶように前を横切る兎に会った。人生で走る野ウサギに会ったのは2回。ともに兎の制作中だったことになる。雨上がりを走る兎は、あまりに速いため、地についている足が見えない。地面と平行に飛んでいる一つの「線」のように美しかった。今、九州北部では猛暑の中、復旧復興に汗を流す人々がいる。銀色に輝いて走る兎の姿に、何か励ましのようなものを感じた。

 

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