彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。(2005年12月から)

1月17日
バリから帰国してから、家族中が病気のオンパレードになってしまった。流行目や風邪である。一ヶ月のブランクがあいてしまった。公募展の〆切と制作量見据えるとかなりあせっている。体調が万全でないのでせまい研究室に部品を持ち込んで彫る。バリの展覧会に出品されていた木工家の西岡大秦氏からほぞのことなど相談にのっていただいたが、そこまでもっていけるだろうか。

バリの方々はあたたかかった。作品にこめた精神的なものが、小難しくなくスッと伝わる。また彼らの彫刻の技術の高さには驚かされた。生活と創造活動が近くにある独特な雰囲気の島だ。一歩外から自分の制作についてボンヤリ考えた。これまで通り「ゆっくり眺めていて気づくようなもの」を大切にしてもいいのでは、と自分を許した。内省や愛や魂の沈黙といったもの ー 子育ての疲れもあって、そういう制作活動も半ばあきらめかけていたが、バリにいってもう一度やってみようかなと思い始めた。

1月19日
もう一本、後ろ足を研究室に運び込む。会議や授業の後の時間を、制作に回せるのはいい。しかしコンピュータまわりにも木屑が飛んでいる。音も周囲にうるさいのではないだろうか。萎縮しながら作るのは、作品にもよくないかもしれないが、いたしかたない。気持ちが小さくなって、技巧的に彫り込みすぎないよう気をつけよう。

制作中、周囲の視線から逃れて集中できるのはありがたいことだ。なぜか人が見ていると、その人の意識が制作中に流れ込んできてしまう。人が見ている方が力が出るタイプのアーティストもいるが、私はどうも苦手である。

1月24日
接合部分の水平と垂直を出す作業をする。小口(木を横で切った面)はカンナがかけづらい。水平器はあるのだが、垂直をだす道具が手元にない。売店の方から糸をわけていただいて、おもりをつけ垂直をとる。いつも作品が完成するまでの間、どれだけの人に親切にしてもらっただろう。かみしめて作品にこめていくしかない。

四つ足の動物の作品に取り組みながら、思い出すのは大学にあった闘犬の木彫である。接合部分にはかすがいが表から打ち込んであり、それがダイナミックさを強めていた。目などの細かいところは彫っていないが彫刻になっている。私も細に気をとられず、存在感や静かな愛情を表現できればそれでよしと割り切ろう。

1月27日
3本目の脚がおおよそ終わりそうだ。胴体とあわせた時に見える形があるので細部は残しておく。粗彫りの際、活躍するのは学生時代からの鑿(のみ)だ。思いっきり彫れる。柄が短くなってしまったが、なぜかこの鑿に手が伸びる。昔からの友人のようだ。日本はもともと鋼(はがね)が少なかったらしく、軟鉄と鋼をあわせて鑿を作ってきた。刃こぼれもしやすい。だからこそ、一鑿一鑿に精神的なものをこめるのだろう。

木を彫りながら、芸術関係者がもつ「こだわり」について考えてみた。仏教は「執着を捨てることが幸せである」と説いた。美的なこだわりも執着の一種とはいえ、人を幸せにすることがある。(他者を蔑視するものはいただけないが)「マニアック」というのは自己探求型のこだわりだ。これがいきすぎると他者必要なくなるから恐ろしい。捨てきれない執着は、美的な感覚として提示することで他者と共有できる。個を保ちながら個から解放される時、存在は自由になるのかもしれない。

1月30日

土曜は八女の泰心工房でバリ研修の打ち上げ。すばらしい工房だ。子供たちは囲炉裏の火起こしにはまった。日曜は祖父のいる英彦山へ。自然の「気」が調和しているところでは子供たちも元気だ。独身時代はなるべく週末も制作に関わっていた。しかし子育て中は土台無理である。割り切ると、これが自然な人間のペースなのだと感じる。彫刻家というのは時間貧乏なところがあるのだ。筋力の足りない私の場合、時間をかけることしか道はない。制作自体の手伝いはなかなか頼めない性分なのだ。

3本目の脚の接合部分にカンナをかけながら、彫刻家のイメージというものを考えた。私は「彫刻を作ってます」といっても半信半疑に思われることが多い。特に海外では苦労する。彫刻家というのは筋肉隆々の男性でないといけないようだ。大きな作品が多いと、家庭的なことはしない女性だと単純に決めつけられることもある。とかく世間はものごとを簡単に決めつけて安心したがる。かつてモデルになっていただいた佐藤初女さん(心身を癒す宿泊所を営む)という方は「その方と実際会う前に、勝手な先入観を持つのは失礼なことだから」と経歴はもちろん名前さえ聞かずに受け入れるという。他者を尊重するということは、その人の過去ではなく(自分が作り上げたイメージを押しつけることもせず)刻々と変化する今の相手をそのままみることから始まるのだろう。

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