彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。(2005年12月から)

10月〜11月
育児休暇があけ、久しぶりに彫刻にむきあう。保育園に預ける際の子供の号泣、母乳育児中の自分の身体、山積みの仕事と家事をこなすこと・・・使える時間も少なく、ほんとうに完成までもっていけるか不安だった。馬を作りたいという気持ちは出産前からあったが、首ぐらいしか作れないだろうと考えていた。

材木店で初めて素材と出会う。故・高田與志彦 (銘建産業)が最後に目利きしてくださった樟だ。今まで使った素材の中で一番大きい。素材を一日眺めた。脚以外は接ぎ木せず、等身大の重量馬を作りたいという気持ちがわいてきくる。材木店からエンジンチェンソーをお借りする。いつも(最初にデッサンする)とちがい、木をみて直接チェーンソーを入れる。木には育ってきたそれぞれの環境が記憶されている。その木が持っている性格に逆らわないように木取りをしていく。右図の左が元(根元部分)。右側は縦に割れていたので、そのまま縦割りし脚部分を作ることにした。ある程度形が見えてきたところで、初めてデッサンを起こした。

この樟そのものの存在感に魅力を感じる。小難しいことを考えずに「存在する」ということをシンプルに感じながら制作していきたい。

12月5日
制作していると音響の先生がお声をかけてくださった。「樟の香りが二つ先の建物まで薫っていました。それで立ち寄りました。」と。目に見えない香りが、彼女の心の中で実体として想起されたのだろうか。あぁ、そんなこともあるのだな、と新鮮であり嬉しくもあった。

彫刻というと形のみが強調されることが多い。しかし樟を彫っていて実感することは、香りがいかに心に深く届くかということだ。春日助産院に寄贈した作品(木彫「子守唄」)も、香りによって来院者を癒しているときく。たくさんの妊婦さんたちに触れてもらい、作品の密度が増したように思う。

作る途中も完成後も、人との関わりで作品は様々な様相をみせる。

12月6日
みぞれ交じりの天候。外に出るのに勇気がいるが、作業服を着ると不思議と寒さが和らぐように感じる。

ここしばらく、脚の制作にかかっている。彫っても彫っても進まない。脚は重力とせめぎ合う部分で、形として難しくもありおもしろいところだ。地上の生物は重力から逃れては形を決定できない。ガウディは樹の強靱さはパラボロイデ(円筒や平面をねじってできる形)という構造にあるとし、建築に応用した。馬の脚を観察するとこの構造が随所にみられる。螺旋状に直線がリズムを刻み、胴体の重みを分散して支えている。アウトラインとしては曲線でも、ねじれた直線の集合体なのだ。重量馬はレッグウオーマーを履いたように脚が太いが、要所要所はかなりしまっている。彫り込むと、細くなるのに強くなっていくのは、パラボロイデ構造のおかげだろう。

12月8日
会議や雑務で昨日は過ぎていった。制作出来ない日は、何か落とし物をしたような気分になる。制作しかけた作品を遠くから眺める。作っているとどうしても近視眼的な見方になり、冷静に全体がみえなくなる。眺める、ということ。手を動かすだけが作ることではない。

今日は左前足にかかる。大学工房は5時までしか使用できない。(保育園の迎えもある)準備と片づけにも時間がかかり、実質作業できるのは1時間半程度。彫れば彫るほどやりたいところが目に入ってくる。作業に区切りをつけるのがひと苦労だ。大学院時代に先生が「次の日やるところを残しておくことだ。彫りはじめがスムーズにはいっていける。」とおっしゃったのを思い出す。何度も木にデッサンしながら彫り進める。チョークを使うこともあるが、たっぷりとした感触の朱墨が一番なじむ。大きな動きを見失わずにすむのだ。

12月9日

学生時代「彫刻は心棒で決まる。」と先生がいつもおっしゃっていた。「前の面を作りながら後ろの面を感じることだ。」立体を把握することは、非常に抽象的なことなのだ。目で見えるものを超えなければならない。日常的にも立体的な思考は大切だろう。

通りすがりの方(業者の方か?)が声をかけてくださる。「自然ですなぁ」を連発されていた。寒い中、私が作業をしていること自体に何かを感じてくださっている。この作品は津軽の「寒立馬」がモデルになっている。厳しさに耐えて存在していることそのものに、私は動かされる。状況はちがっても、人に言えない過酷さを抱えて誰もが生きているのだ。笑顔の彼もそうなのかもしれない。厳しさを受けとめて生きることへの共感が、作品を介して交差する気がした。

ハッと気づくと5時近くになっていて、あわてて箒をかけ始める

12月12日
今日は雪がちらつき底冷えしている。お昼に友人が工房に訪れてくれた。育児休暇中にシュタイナーの母子クラスで出会った方々だ。3才の男の子は「お馬さん、お口が動くの?」ときいていた。1才の女の子も「うー」と話しかけてくれる。「乗っていいよ」といっても神妙にしていたので、やはり遊具ではない樹の命みたいなものを子供たちは感じているのかな、とふと思った。

育児休暇中痛感したのは、生活を営んでいる人間の強さだ。表にでてこない生業こそが人間の根本なのに、そこから逃げている人々に評価が集まる社会は歪んでいる。専業主婦の方々が楽だと勘違いしている人間はいまだに多い。私も今だから彼女たちのすごさがわかる。子供をもってよかったことのひとつは、親の心労への想像力がひろがったことだ。私にできることは制作だけだが、少しでも彼女たちに日常にはない何かを感じてもらえたなら幸せに思う。

12/20〜1/4までインドネシアに滞在することになった。The Roots of Asiaという展覧会のためだ。短い制作コンセプトを提出していたら、私のHPから抜粋した文章を主催者の方から逆に提示され驚いた。他者の眼差しを通じて、出産前の自分自身と向かい合ったような気がした。言葉にしてしまうと何か居心地が悪いが、身にまとう葛藤は拠り所でもある。捨てずにいたい。>制作コンセプト

12月13日
雪がちらつく。カイロをお守りに作業を始めると、さほど寒さを感じない。あたたかい部屋の中で想像していた寒さの方が寒い。事実よりも、自分の中で作り上げたものの方が恐ろしいのは常だ。

右後ろ足にかかった。なんとか4脚の木取りがすんだ。明日から蹄に取り組める。初めて北海道のバンエイ競馬(練習中)でデッサンしたとき、騎手の方が私の絵をみて「前足と後ろの蹄は、角度がちがうんだよ」と指摘されたことを思い出す。生活を通して馬に接している方にはかなわないなと思った。

たまった木屑をリアカーでゴミ捨て場に運ぶ。技官の方に手を貸していただく。彫刻をしていると、移動やトラックへの積み卸しなど1人ではどうしようもない場面が度々ある。作品には1人でとりくんできたものの、制作する私を支えてくださった方はたくさんいた。ほんとうにありがたいことだ。共同作業をすると、なつかしい感じがする時がある。昔あった地域の中での力仕事は、人と通じ合うきっかけだったのかもしれない。

12月14日
会議後、着込んで作業する。後ろ姿が飛行機誘導のクルーだ(笑)。今日も外で働いている方は大勢いる。

この馬は、根元の形をいかして首をかしげている。彫り進むうち、授乳中の馬をイメージするようになった。第2子の断乳から一ヶ月たつ。自分の身体を切り取って、別の命を育む授乳という経験はとても貴重だった。体力的なものはもちろん、忍耐や愛情を「与えている」と感じることができた。よく考えるとそう断言できるのは初めてかもしれない。人工的に妊娠させられ搾乳される牛の気持ちを考えると、牛乳というものが痛ましく感じられる。

鑿を入れ始める。彫りすぎると強さが失われる。とはいえ彫るべき所は山積みで、3月末の完成予定までに間に合うのかため息がでる。完成後は九大農学部実験農場に寄贈予定だ。

12月16日
授業、学生の論文アドバイス、海外研修の準備等でまとまって作業できない。昨日、農学部の収穫祭に参加。粕屋町長やJA関係者も出席している。地域に貢献している農学部の歴史を感じた。

その会で寄贈済みの作品について様々なコメントをいただく。寄贈作品はギャラリー(アートスペース千代福)に置いてあった4点である。一点は未完成なので自由に鑿を入れていいですよと伝えてあるが、やはり実行できないようだ。外に置いて朽ちてもいいということで木彫を寄贈したのだが。中には学生時代の裸婦の習作もある。裸婦に対する抵抗感、危険性・予算・実働の負担を危惧している方もいる。農場を想定した作品でなく、彫刻美を模索した作品群なので私も答えに窮する。一方、実体を設置することから始まるという意見もある。農業を営む「場」とは何か、つまり「農の精神性」を問いかけることが大切なのではないかと。農業における人間性を回復すること、既成概念に揺さぶりをかけることが目的なのだそうだ。また同学部の藤原先生は「経済に直結するのではない社会的なアートと農業」のあり方を示唆される。どの立場の方のご意見にも共感した。

そのとおりだと思う。公共の場に作品を置くということは、様々な物議を醸し出す。その物議そのものが大事なのかもしれない。私は制作者である以上(中司先生のご発案であっても)責任を引き受けなくてはならない。主体となって農業に働きかけるまで、正直まだ自分が確立していないことを感じる。この作品を作っていく中で、ひと鑿ひと鑿、思索してみようと思う。

12月17日
今日は土曜日だが、子供たちが餅つきのため保育園に行っている。農と芸術のことが頭にかかり、一晩考えてワークショップを発案した。→「ワークショップ案」ダウンロードPDFファイル「自分がいる場所」という題目で考えたものだ。たぶん反対がでるだろう。バリに行っている間に、さらに内容を練ってみたいと思っている。
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