→「福岡エルフの木」震災支援・野菜寄付箱プロジェクト
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「望郷の牛」 The Cow with Nostalgia

制作過程 English(PDF)

2012年8月6日に福島県波江町の「希望の牧場」に寄贈しました

 →浪江町寄贈風景

東日本大震災の後、原発立入禁止区域内に残された牛の映像をみたことがある。牛達は人間側に向かって「なぜ?」と問いかけているような瞳をしていた。

2010年に牛の木彫を制作したこともあり、牛には関心を持ち続けていた。取材を通して、牛を飼育する人々の愛情や労苦を垣間みた。手間暇をかけた牛たちと別れ、故郷を後にした人々の辛苦に思いを馳せた。→飯館村酪農家・長谷川健一氏の『現代農業』記事

いつか帰ると信じて離れた人。いつか帰ってくると信じている牛、家、風景。その視線が交差するところにあるのは、様々な記憶と日々のリズムが染み込んだ「故郷」である。

この作品の素材は鉄の棒で、叩いて三次元的に曲げないと立体にならない。どの方向からみても整合性がないと形が破綻してしまうので、一本一本、神経を注いで制作した。

昨日と今日が繋がらないという亀裂を、私たちはどう生きればいいのであろう。帰るべき場所が過去ではなく「未来」にあることをイメージして、祈るように制作した。

この作品は2012年に福島県浪江町にある「希望の牧場」に寄贈されました。3.11以後の1年半の軌跡が記された本があります。警戒区域内の生き物たちの現状と吉沢代表の思いが、針谷さん(APF通信、希望の牧場スタッフ)の鋭い写真と文章で綴られています。→針谷勉『原発一揆』

この作品を出品していた国展(国立新美術館)最終日に福島県浪江町「希望の牧場」の吉沢正巳さんが会場に来て下さいました。この作品を希望の牧場に寄贈できることになりました。作品は無償、運送代は私個人で用意します。吉沢さんは残された牛達を、「生」のために生かしているのです。牛達の存在と命そのものが、強い社会的なメッセージになっています。国展と同時期に希望の牧場の写真展が開催されていました。吉沢さんのご説明をききながら写真を拝見し、やり場のない痛みで胸が苦しかったです。
2012年の8月に寄贈します。

写真展チラシ(pdf裏表)吉沢さんの記事(atプラス12号 2012年5月 pp.88-99)

国展会場の「望郷の牛」の前で吉沢さんと。

警戒区域からのSOS「希望の牧場・ふくしま」写真展〜小さなふくちゃんが教えてくれたこと〜、のポスター写真。

会場風景です。たくさんの人が訪れていました。
子牛の時につけていた紐が、成長とともに頭部に食い込んでしまっています。 牛にも感情があり、涙を流すそうです。人間を信じてよってくるとのこと。 ミイラ化した牛達を、運んだ後の牛舎。

福島県浪江町「希望の牧場」への「望郷の牛」寄贈風景

2012年8月6日に、国展(国画会)に出品した作品「望郷の牛」を、福島県浪江町の「希望の牧場」に寄贈しました。代表の吉沢さんが「演説の時に連れていったり、この彫刻を積極的に役立てますね」とおっしゃってくださいました。労力と心をこめた作品が、この場で新しい意味をもって生きることを実感し、私の方が元気づけられました。吉沢さんは原発建設そのものに異議を唱えてきた方です。彼の手記をお読みください。→PDF(atプラス12号 2012年5月 pp.88-99)

浪江町の景観は美しかったです。残された虫や鳥、動物、植物は、今も当たり前に自然の営みを刻んでいました。この町を去らなければならなかった方々の思いは想像を絶するものです。原発事故は人災です。突如として降り掛かり、数えきれない人々の人生を急変させました。事故に対して「責任をもつ」ことの意味を考えながら、波江町を後にしました。

*現在「希望の牧場」のライブカメラ1号機でトラック上に設置されている「望郷の牛」を観ることが可能です。→HP右側にライブカメラ1号機へのリンクがあります。

2012年11月11日に、国会および周辺省庁付近で「11.11反原発1000000人大占拠」という市民活動が行われました。希望の牧場代表の吉沢さんが「望郷の牛」と共に演説を行いました。(彫刻着色については吉沢さんによるもの)演説についての動画があります。作品を突き抜けていく無数の思いに、痛みを感じました。

(吉沢さん演説映像)

朝日新聞2015年7月4日
7月5日
7月6日
中日新聞2015年6月29日

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