《寒水大師と十一面観音 (災害流木)》 

→制作にいたる経緯の説明PDF

 

  2020年、この作品を手掛けた期間、私は、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)拡大防止のため自粛生活を送り(東京オリンピック延期)、また令和2年7月豪雨を経験しました。いまや、世界中が、疫病と気候変動によって、苛烈な困難に向かいあっています。あたりまえの日常に前触れもないまま亀裂が入り、非日常のはずの日々が、いつの間にかニューノーマル(新たな日常)と呼ばれています。 私たちの心に刻まれた「潜在的な恐れや不安」を、完全に拭い去ることは難しい状況です。
 アートは、見えないものを形にしてきました。表現されたもの(鬼、妖怪など)によって疫病や死を理解し、共に生きてきたのです。また、祈りや救いのイメージによって苦難の淵から浮かび上がり、再び歩き出す契機としてきました。この作品も、九州北部豪雨災害被災地の朝倉市杷木寒水(そうず)地区からの復興への願いを受けて、制作したものです。


 発端は不思議なご縁でした。別件で私が朝倉を訪れた際、たまたま寒水地区の方々の集まりがあっていたのです。寒水協議会長の満生さんが、「信仰対象を制作していただきたいと連絡したところ 、本人がすぐ現れたので驚いています」というお話をされました。 これまで、杷木小学校や英彦山地区に災害被災木の彫刻(→《朝倉龍》 →《花開童子と福太郎童子》) を寄贈していたので、杷木ベースの望月さんが私の名前をあげてくださったようです。

 寒水地区の1人の女性が、豪雨災害の日の出来事を語ってくださいました。「豪雨に怯える中、白い影がみえました。その人を心配して歩み寄ると上に登る階段があったのです。上がった途端、背後から土石流が流れ込み、間一髪で助かりました」というのです。「災害後、辺りを探してもそのような方はおらず、きっと神仏の御加護だったのだと思います。その付近で流されてしまった祠を再建したいのです」とのことでした。その中には大師像と観音様が祀られていたのだそうです。 このような経緯で、私は、被災地のために小さな大師像と観音様を作ることになりました。 素材は、災害直後の2017年7月に、朝倉市の流木集積所で、ピックアップした檜(ヒノキ)です。 私は仏師ではないので、「形式通りの仏像にならなくても大丈夫ですか?」と満生会長に確認したところ、「人々の心を癒してくれるものであれば良いのです」と言ってくださいました。被災地支援はもちろん、疫病に苦しむ世界の人々の平安を祈り、心をこめて作りました

 私の推測では、朝倉における「大師」は「行基(668-749年)」を指すのではないかと考えています。大師とは、偉大なる高僧を指します。朝倉市には、行基が作ったとされる日本最古の木造建築「普門院」(国指定文化財)があります。普門院は、天平19年(747)聖武天皇の勅願をうけ、行基が筑後河畔に創建したものが、度重なる水害のために現在地に移築されたものと伝えられています(→朝倉市役所のHP)。

 行基は、東大寺大仏の開眼を行った僧侶として有名です (しかし若い頃は、政治と宗教の分離を主張したり、階層を越えて困窮者を救い布教したため、朝廷からは弾圧を受けていたそうです)。特に灌漑・治水工事を行い、水害から民衆を救ったことの功績?は大きいです  唐招提寺の行基像は蓮の葉を持っています。蓮華は仏教の象徴ではありますが、行基の蓮の葉は、水害から人々を守ったことを示唆しているように思えます。 行基に関して、実際に平安時代に渡来した仏教者を、福岡(太宰府)でお迎えしたという記録があるそうです。行基が、普門院建築ともに、水害が多い筑後川沿いの杷木に、治水技術を伝え、民衆の尊敬を集めた可能性はあると思います。蓮の葉は、英彦山の鹿の角から彫り出しました。

 この像の意匠は、英彦山の天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)像を参考にしてつつ、童子や地蔵菩薩のような癒しのイメージも表現しました。私は2016年に、英彦山神宮奉幣殿再建400年記念事業の一環として鎌倉期の《彦山三所権現御正体》を復原したことがあります (現在、奉幣殿の御神体→復原プロジェクト)。この天忍穂耳命像はヒシャクを持っていますが、行基像に通じるものを感じました。また朝倉市杷木(はき)地区は英彦山の神領だった時代もあり、ご縁があるのではと思います。*復興アートガーデンを制作している黒川地区も、同様に英彦山神領でした。→黒川復興ガーデン 「杷木神社縁起」では、「アメノオシホミミ命が、オオナムチ命に農業の知識と馬杷を授けた。オオナムチ命が大きな檜の枝にその馬杷をかけ、そこに鎮まり給うたのでそこを把の来た山(把来山)と呼んだ」というのが、杷木の由縁だそうです。

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 十一面観音菩薩像について。この観音様は、水害から救済してくれるお力があるそうです(水瓶をもっている)。復興の庭づくりでお世話になった禅僧の枡野俊明先生(造園家。多摩美教授→講演会テープ起こし)が、本年度の九州地区の大雨について、お見舞いの連絡をくださいました。そのお返事で、祈りながら制作していることをお伝えしたところ

「今、先生は流木で十一面観音様を彫られているとのこと、何と素晴らしいことでしょう。 十一面観音様の真言はオン マカ キャロニキャ ソワカです。 唱えながら彫られると良いと思います。願いが観音様に 沁み込んで行くのではないでしょうか」とご教示くださいました。

泥だらけだった災害流木が、彫っていると、いまだ美しい香りがする、とお伝えしたところ、さらに以下のようなお返事をくださいました。

「中々九州の大雨がおさまりそうもなく、また、被害も広がり心を痛めております。 被災されました方々には心よりお見舞いを申し上げます。 本当に自然の猛威は治まる所を知らず、人間の力が如何に小さいかを身を持って感じる出来事です。 人間のおごりが自然を破壊し、その自然の悲鳴がこれまでの数々の災害を起こして来たように思えてなりません。 先生の彫られている十一面観音様は、先生がひと鑿、ひと鑿 真言を唱えられているとのこと、その思いと願いが観音様にしみこんで行くと 思います。そして多くの方々の心を救って行くことでしょう。
 お送り頂きました写真を見ますと、この白く美しいヒノキの木地は 何事も経験してこなかったかのような、清らかな姿を見せてくれています。 人間も誰もが苦労と悩みを経験し、抱えて生活している訳ですが、 この観音様のように、何事もなかったかのように 人々の心を清らかに出来る存在で居られれば良いと思います。完成し開眼される日を楽しみに致しております。 再 拝   徳雄山瑞雲院  建功禅寺  枡野俊明 」

 九州北部豪雨災害、令和2年7月豪雨災害の苦しみが、少しでも和らぎ、癒されることを心から願い、祈っています。この十一面観音像の右手は「与願印」です。この二つの彫刻が、被災地の皆さんに希望の心を与えるものになったら嬉しいです。

 

 

朝日新聞2020.10.9(渡辺純子記者)

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