2017年、九州北部豪雨災害は大規模な山林崩壊(約1065万トンの土砂流出)、および約21万トンの流木被害を引き起こしました。
その際、英彦山の麓に咲き続けた天然記念物「吉木のヤマザクラ」が倒木してしまいました。その命を惜しみ、添田町役場が中心となって山桜を彫刻として再生させる取り組みが行われました(→クラウドファンディング)。私は英彦山山伏の子孫であり、そのご縁から彫刻制作の部分で協力をしました(→制作構想図)。英彦山山伏は、木や水など自然を神仏として崇敬していました。何百年も愛され、地域の方々の心の支えとなってきた山桜。木と人間が愛と尊敬で結ばれた関係は、これからの自然との共生のあり方を示唆しています。
吉木の山桜で制作した「花開(はなびらき)童子」は英彦山49窟のうちの第19窟「花園窟」の守り神です。不動明王脇侍(きょうじ)「矜羯羅(こんがら)童子」をモデルにしています。英彦山の「彦山仁王教曼荼羅(まんだら)」に描かれている矜羯羅童子は、「花(蓮華)」を頭にのせているところから、山桜を連想できるものとして、この意匠を参考にしました。
もう一躰(たい)は「福太郎童子」で、朝倉の災害流木を使っています(→杷木小学校に寄贈した龍を彫った木材)。福太郎童子は、第9窟である天上窟(英彦山山頂付近)を守っているとされています。英彦山山頂の力強い風や水の流れを表現しようと考えました。
制作にあたって、300年少しずつ成長した山桜はとても硬く、また制作中に乾燥によるねじれや割れが生じ、苦労しました。しかし彫りすすめるにつれて、なんとも言えない品のよい美しい木肌があらわれ、その素晴らしさに魅了されました。もともと山桜は大好きな花でしたが、その美しさは、すでに幹に内包されていたことを指先で実感しました。
桜は、見上げて鑑賞することが多いため、記憶に中にある桜の背景には「空」があります。そして、咲く姿とともに、その散りゆく姿が人々に深い感情を呼び起こします。桜を見上げるときに、どこかで「命」のことを感じているような気がするのです。「来年もあの桜が咲いてくれる」と思うことで救われてきた人々の「祈り」が託されているからこそ、桜は美しいのかもしれません。ヤマザクラの命がこの彫刻の中で生き続け、人々の祈りを空に届けてほしいと心から願います。