彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。

2006年10月/11月/12月   2007年1月/2月/3.4月

10月6日
 先週は、国展秋季展が行われ2回の東京日帰り出張があった。(子供が母なしで眠れないので)疲れが出て今週は風邪をひき熱が下がらない。非常勤の先生にも「顔が土色ですよ」と言われてしまった。

 今度の作品は子ども(乳児)をテーマに作ろうと思っている。あまり巨大な作品にはしないつもりだ。子供たちの誕生日が続いたので、久しぶりにアルバムの写真を整理しながら感慨にふけっていた。

 翌日ハンセン病の胎児標本に関する文章を読む機会があった。ハンセン病は非常に感染力が弱く薬で完治するにも関わらず、長い間遺伝によって伝染すると信じられ残酷なことが繰り返されてきた。文章内の「女二人」の抜粋を読みながら、嗚咽がこみあげ体が震えた。病棟で生まれた子は放置され、自然死させられたという。正気を越える苦痛である。私自身の出産後に感じた、子のぬくもりや声が蘇った。

 そんな中、知人から赤ちゃんが誕生したというメールが届いた。出産後直後の幸福感にあふれる家族写真が添付されていた。その写真は悲しいほど美しかった。私は万感の思いがし、今度の作品はいいものにしたいと心から思った

洋協アートホール
第二子の寝顔
10月23日
高熱が続くので、病院嫌いの私も診察を受けることに。さまざまな検査にうんざりする。肺炎とわかり入院することになってしまった。(1週間弱)私より二人の子供が気がかりだ。

身体が重いが、咳き込んで眠れない。窓際のベットから、空を見続けた。十六夜の月が次第にあがっていく。漆黒の中空に映えて美しかった。かざした手の月影が、シーツの白さに落ちるのをよく眺めた。しばしば救急車の音が聞こえ、近くでフッと止む度に病院の内部にいることを自覚させられる。病室には様々な苦しさを抱える人々と、その家族がいた。患者同志でお互いを気遣う場面も度々あった。退院時、自分を待ってくれる存在がいるありがたさが身に染みた。

退院して自宅療養中、下の子供が水疱瘡になった。入院中の空白を埋めるように甘えてきた。子連れで公園の芝生に座る。子供のひとつひとつの仕草が心底愛らしく思えた。

彫刻制作開始は来週からになる。1ヶ月も間があいたが、生き直せたのだから感謝せねばなるまい。

10月25日
入院中に裏紙を使って彫刻の構想を練っていた。それを元にデッサンを起こしてみる。乳児というのは不思議と顔が似ていることに改めて気づく。すべてが丸く魅力的な形をしている。仏像やお地蔵さんは乳児をモデルにしているのだと思う。

私は子どもたちを自然分娩で出産し、母乳で育てた。出産直後からよく抱き肌に触れてきた。第二子は陣痛が短く、無介助の自宅出産だったので(浴槽で出産)出産直後の印象は強烈だ。(→自宅出産体験記)卵膜をかぶったまま水の底から浮かんできた。それは光る魂そのものの形のようだった。驚くほどの静寂である。私は生と死は同じ静けさの中にあると実感した。卵膜は私が破ったのだが、膜の中で子供がデッサンのような形をしていたのだった。弥勒菩薩を連想した。

弥勒菩薩は釈迦が入滅してから56億7000万年後に仏となって、衆生を救済するという未来仏である。そんな彼方の話ではなく、新生児の持つ存在感によって、多くの人々は既に救われているのだ。子は親の所有物ではないことを、あの静寂の中で悟った。

彫刻的に強さをだすところまで、持っていけるかどうか分からないが最善を尽くすしかない。実際に子供を取り上げた母親がどんな彫刻を作るのか、他人事のように見届けてみたい。現実感の重みが現れてくれることを願う。

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