彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。

2006年10月/11月/12月   2007年1月/2月/3月

2月5日
落ち着いて彫る心境になった。今回いつもと違うのは、彫りながらなぜか笑ってしまうことだ。子供は天然笑いネタの宝庫である。かなり楽しませてもらっていることを改めて実感する。いつもはせわしないが、いないとポッカリ穴があく。

週末、ウルトラマンと怪獣好きな子供のために熊本のウルトラマンランドに行く。「バルタン!ピグモン!」と叫んでいたのは私のほうだった。ウルトラマンタロウがレストランでシェフをしていた。(笑)

2月15日
九州大学社会連携事業(3月2日「食育の基礎から深化へー植物と対話する音楽」→チラシPDF)の一環として、粕屋名産の農産物(柑橘類)を使ってインスタレーションを作ることになった。会場では「植物の声」から生まれた音楽が、ヴァイオリンと笙によって演奏される。笙は竹林に差し込む「光」を象徴する和楽器という。光を柑橘類に見立て構成する。→作品コンセプト 食物を使うことに最初抵抗があったが、荒神様(土・水・火の神様)への供物と考えることにした。

昨日はSt. Valentine's dayである。糸島のSmall Valleyというのデザート・カンパニーからケーキが届く。家族中大喜びだ。ズッシリと本物の味がする。気をよくした夫が「今日講習会で覚えた子守唄なんだ。オンボコヨ〜」と歌い始めた。子どもたちが「しーっしーっ」「それは、まじないの唄だ!」と本気で耳栓していた。夫も真剣に「おかしいな。子どもたち喜びますよ、って先生言ってたのになぁ。」夫に悪いが、久々にお腹が痛くなるまで隠れて笑った。

2月21日
国画会から作業風景の写真が必要という通知があり、私も用意してみた。→木彫制作風景pdf 右は服からしてジェイソン(13日の金曜日)なのでボツにした写真。しかし、このチェーンソーを使う時の緊張感や、槌を打ち付けることが私を救ってくれる。うまく言えないが私の中の「野蛮」を吹き飛ばしてくれるのだ。彫刻家に尖った人が少ないのは、人間に潜む攻撃性を作品に叩きつけるからかもしれない。また大怪我と隣り合わせの作業(電動工具、重量物の移動)は、人間の「生」を確かなものにしてくれる。危険やリスクへの緊張感がなかったら、自分が生きていることを実感できない。先祖の修験者たちが、なぜあんな生命の危険を演出したのか、なんとなく理解できる。

正月休みの数日で用意した(ボロボロの)紀要原稿を修正する機会を与えられたが、これも実際パソコンに打ち込めたのは前日だった。久々に研究室で徹夜。母に夕食作りを頼んだが、子供たちの寂しさや不安は大きかったらしい。翌日「胸のモヤモヤがなかなかとれない」と長女に訴えられた。相撲をとったり追いかけごっこをして埋め合わせる。今回の文章は学会論文ではない。ただ河合正嗣さん、山口進一さん(昨年逝去)安積遊歩さんらの日々の重みに対して、書いたものだ。→修正後原稿 業績を求める大学側のプレッシャーに負けそうだが、自分が大事に思えることを優先したいと思う。本音をいえば研究よりも幼児期の子供の心の方が、今の私には大切なのだ。

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