彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。

2006年10月/11月/12月   2007年1月/2月/3月

1月9日
年が明けた。先月25日から始まった論文制作。深夜に参考文献を読み、日中の隙間で思索した。今朝の午前3時にとりあえず書き上げた。(今日11時が〆切)ボロボロの新年幕開けである。28日〜3日は子供の世話や帰省、7〜8日は八女のフォーラムでプレゼン。今日書くしかない!という日に保育園から「お子さん熱出されています」の電話。トラブルによるスキャン画像の取り直し...。まさしくM.I(ミッション・インパッシブル)状況である。

論文の題目は「“障害”と芸術文化」これまでの出会いや主人のNPOへの関わり、日々の彫刻制作から得ているものをまとめようとするが、デリケートな問題であり範囲も広く手強かった。今の私でのベストエフォートではある。作品や文章を客観的に眺める機会は「お前の限界はこれだよ」と、自分への幻想を砕いてくれるので助かる。「“障害”と芸術文化」→Webページ →pdf(修正の可能性あり)

1月15日にブロンズ胸像の除幕式があるようだ。鋳込みの職人さんは正月返上で打ち込んでくださった。もう十分だと思っても「私はまだ満足いきません」と手をかけて下さる。生粋の職人さんに出会えて幸せである。

1月15日
今日は福岡市総合図書館で如水像の除幕式があった。慣れない雰囲気だった。(紐を引いたり)今回は、鋳造技術者の大野さんや、木工技術者の遠藤さんとの出会いとお仕事の質の高さに感謝したい。蝋型ブロンズ鋳造というのは、銅の厚さが薄いほどよい職人さんと言われている。しかし一般の方は中身が全部銅で詰まっていると考えているようだ。後ろからみて空洞があいていることに驚きがあるらしい。これを何かで埋めてもらえませんか?と依頼され、頭を抱えた。作り手としては作品の質を落とせないので胃が痛くなった。エッチング用の銅板を腐食させて充てようかと切断したが、やはり鋳込んだ銅の重みには負けそうで手が止まる。樟材で木彫りしたものを充てることも考えたが、結局固定用ボルトだけ木材でカバーすることにした。

赤ん坊の木彫は狭い研究室に移動した。細切れな時間しかとれない年度末、工作工房での作業は厳しい。私の研究室のコンピュータ機器や本は木屑でザラザラだ。

1月16日
院生時代、先生から「次の日スッと取りかかれるように、一箇所やり残しておけ」と言われた。彫り進めるうち、もう少しもう少しと止まらなくなってしまう。しかしやりきってしまうと、次の日手が止まってしまうのだ。彫刻は5分時間があれば5分彫れるというものではない。例え時間があっても眺めるだけで終わるときもある。手というのはやったことを覚えてしまう。手だけが進んでしまうとスッカラカンの物体になる。技量より気持ちの方が進んだもの、あがいている作品の方が好ましく思える。(私は不器用なので上手くなることはないが)量産して上手くなってしまうことは恐ろしい。

星野村でのフォーラム(冬の学校コロキウム)で陶芸家の山本源太氏もお話された。本物だなと思った。「土泥棒」(葦書房)という彼の著作がある。土に向かわれている内省と時間がそのまま伝わってくる本である。

1月29日
センター試験監督、卒研・修論概要集を集める仕事で今週は慌ただしかった。差し替えを受け付けてしまうのは私の甘さだ。忙しくても仕方ない。こんなとき、絶妙なタイミングで保育園から「お子さん熱が出ています」の呼び出しがかかる。子連れで研究室にいると、子供が必死に彫刻を木槌で叩いていた。

印刷所に原稿を渡す日に、主人から「登園中、子供が自転車に足を巻き込まれ大怪我!」と連絡が入る。主人も今月は仕事の人手が足らず心身共に限界だった。魔の一週間がおわる昼食時に店においてある本が目に入る。(「鏡の法則」)自分の内面的問題を「現実」の方が教えてくれるという話だ。私の場合「忙しさに甘えていないか?」と諭されているのだろう。

九州国立博物館に「伊藤若冲」を観にいく。生きているな、と思う。一番気になった作品が、若冲80代の作品だとカタログで知る。これほど自由に描ける境地に到るまで、どれだけのことを彼は乗り越えたのだろうか。(日本画の中で同じような自由を感じるのは宮本武蔵の作品である)

2007年2月

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