彫刻作業日記   >Buck

彫刻は時間を必要とするものである。制作する間に出会ったことを自分で確認するために、内省をこめて記していきたい。

12月3日

 12月1日に、農業と芸術の協働である社会連携事業で、造形表現を行なった。JA粕屋の農業祭の会場内に設置。テーマは米、作品名は「命の根」である(→完成図 →コンセプト)作品の前で藤枝守教授作曲の「植物文様」が西陽子さんの箏によって演奏された。響きの中に引き込まれていくようだった。

 会場での作品説明の際、地球温暖化と貧困の問題が、「食」に繋がっていることについて触れた。このままのペースで温暖化がすすめば、100年後には海底のメタンハイドレートが溶け出し、地球上の水分は全て蒸発してしまうという。貧困の問題も私たちの食への意識が作り出しているといっても過言ではない。債務による悪循環、たった一本の国境線を越えただけで運輸費が非課税になるというグローバリゼーションの愚行、レートの暴力などが原因である。地産地消、自分たちの環境・風土を守り愛することは、これからの地球における常識になるだろう。単なる健康増進のためではない。次世代が生き延びるためである。根本的に社会を変えるのは政治ではない。今自分が何を必要とし食べるかという「生活上の選択」の蓄積なのである。

 この作品は、金剛会曼荼羅(成身会)と八色和幣を主に参考にしている。また五大思想を元に、米・ヌカを「地」、塩を「水」、バラを「火」、葉を「風」、御幣の回転を「空」にみたてている。大きな円周と中心円の幣の向きを変えている。外周を衆生から天へ、中心は天から衆生への動きである。私にとって命の循環、宇宙の運行そのものが神の現れである。自然への畏敬の念を途切れさせてはならない。その理法を人為でとめてはいけない。こういった祈りを作品にこめている。

12月17日

 国画会の秋季展会場が今年から東京都美術館に変わった。(国画会の試み展、以前は銀座洋協ホールだった)都美で陳列作業を行っていると、本展が国立新美術館になったことを忘れそうになる。出品者の方々はきっとそれぞれの(彫刻以外の)仕事に忙殺されているだろう。その中で彫刻という表現媒体を大事にしている思いが集まっていた。とても励まされた。

 上野にある宗意(もとい)刃物店に教育大の千本木さんと一緒に足を運んだ。筑波時代に神戸先生に案内していただいて以来である。他の鑿があっても、結局この宗意の鑿を使ってしまう。思ったところに鑿がスッと入ってくれるのだ。カツラ(柄を守る鉄の輪)の内側にヤスリをかけ調整する。鑿研ぎなど木工技能を丁寧に説明したWebを見つけた。(→木工技能Web)道具の管理が下手な私はこういった基本を何度も復習する必要があり、重宝している。

 東京国立近代美術館で「日本彫刻の近代」という展覧会を観た。教科書に載っているような作品が一同に並んでいた。中にはやはり古いと感じてしまうものもあったが、いい作品はハッとする程フレッシュだ。いいものは普遍的に新しい。作家の気迫が物質に宿り、命が息づいている。

 「ほっとけない世界のまずしさ don't let it be world poverty」(扶桑社)という小さな本を買った。苦しんでいるとき、見て見ぬふりをされることほどつらいことはない。病気や子育て、介護の困難、障害を持つこと、いじめを受けているとき等。日常の様々な場面で私たちは見て見ぬふりをしているし、されている。それが国と国の関係の中で起こっているのが、世界貧困だ。恩恵を受けている側が気づかない限り、他方の苦難は延々と続き悪化していく。意識を持てば、私たち日本人が何を買い何を食べるかが変わり、貧困の仕組みを解体する契機になるはずだ。そう信じたい。戦争や過度のプランテーションで妨げられずに、地元の人が食べる分の農産物が生産できるように。人間が行う生産活動は、日本と途上国において本質的に価値の差はないはずだ。

12月27日

 温暖化のせいか、作業中も寒さが気にならない。象の頭の構造はつくづくおもしろいと思う。意外なところが隆起・陥没する。力強く知的なものを感じさせる形である。つい頭部に惹きつけられて彫ってしまう。

 鑿(のみ)の手入れのために、金盤(裏押し用)とダイヤモンド砥石を購入した。(この歳になってやっと鑿の手入れの重要さに気づく)道具というのは不思議だ。気持ちが入った道具を持つことで、新しい心の領域が生まれる。

 今週あたまはクリスマスだった。ケーキを手作りしたら、生クリームとイチゴが味見でみるみる減り、すごい形相のケーキになってしまった。ネットでプレゼントを注文していたのだが、当日に届かない。「サンタさん、忘れてるのかな...」としょんぼりされてしまった。急遽翌日の昼休みにキャラクターもののプレゼントを購入し(キタロウとゲキレンジャー)自宅のドアにかけ、職場にもどった。帰宅時子ども達が「サンタより」と書かれたプレゼントを見つけた。アリバイ成立である。「アメリカのサンタさん、間に合わなかった。だから日本のサンタさんが代わりに来たんだ!」と狂喜する彼ら。何かを贈りたいと思う「心」が、サンタの実体である。

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