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上映とディスカッション 「動いている庭」から「語りかける庭」へ

九州大学芸術工学部音響設計コース音文化学講座は、フランスの庭師にして哲学者のジル・クレマン氏の来日を追ったドキュメンタリー映画『動いている庭』(2016)と、京都府福知山市・観音寺の庭の作庭をめぐり、住職、庭師、美学者それぞれの視点を追った映像作品『語りかける庭』(2024)の上映会を九州大学大橋キャンパスで開催しました。
本イベントは、芸術工学研究院の城一裕准教授や原瑠璃彦 氏らが2019年より取り組む「庭園アーカイヴ・プロジェクト(Garden Archives Project/GAP)」[註1]に関連して企画されたものです。GAPは、刻々と変化する日本庭園に対し、多様なテクノロジーを用いたアーカイブの開発と、日本庭園そのものの考究を目的とするプロジェクトです。これまでの活動は、ウェブサイト「Incomplete Niwa Archives 終らない庭のアーカイヴ」[註2] にて公開されているほか、2021年に 山口情報芸術センター[YCAM]で開催された展覧会[註3] 、関連書籍[註4]や論文[註5] 、庭園で録音された音源のリスニングイベント[註6] 等を通じて紹介されてきました。現在の活動は第III期に入り、城准教授や原氏のほか、第Ⅱ期から庭師を対象とした映像制作を行ってきたエマニュエル・マレス氏、新たに澤崎賢一氏が加わり、各々の専門的立場から研究・制作を継続しています。

会場となった大橋キャンパス音響特殊棟録音スタジオでは、本上映会にあわせ、GAPの一環として日本庭園で収録したアンビソニックス音源を、立体音響システムによって上演した。また上映後には、増田展大(九州大学大学院芸術工学研究院 准教授)をモデレーターに庭を起点に領域横断的なディスカッションを行った。この日、会場には『語りかける庭』に登場する作庭家の古川三盛(ふるかわ・みつもり)も来場し、イベント中、登壇者や会場から飛び交う質問に応じました。

以下に、ディスカッションの一部を抜粋し紹介します。



登壇:エマニュエル・マレス、澤崎賢一、増田展大、城一裕、原瑠璃彦 


Q1. 西洋と日本、庭園の対称性と共通点はどこにあるか

増田展大:
まずは、エマニュエル・マレス さんに質問です。
古川三盛さん[註7] も仰っていたように、日本庭園は見立てを用いながら、ありあわせの素材で料理をつくるようなプロセスのなかで形づくられていきます。西洋の庭園美学では、哲学的な背景も含めて、イギリス式やフランス式など、様式を明確に定める傾向がありますが、フランスの庭師ジル・クレマンさんに関しては、放任主義的な「第三風景」[註8]を提唱し、あえて手を加えないことを肯定しています。両者の共通点と差異についてどのように感じていますか。

エマニュエル・マレス(以下、マレス):
英語の「Garden」を辞書で引いてみると、ほかの西洋の言葉、フランス語の「Jardin」やスペイン語の「Jardín」とも語源が一緒で、「囲う」ことが根本にあります。「ガードする」ことが庭の本質です。それに対し、日本語で「庭」という言葉にはそういう意味は全くありません。「庭」とは平らな場所を指します。例えば町家の「通り庭」[註9] のように家のなかにあったとしても、土足の空間を「庭」として捉えます。
日本と西洋、空間に対する意識や広がり方が異なるなかでどう比較するかという問題は、とても難しいと感じています。ただ、日本庭園と西洋庭園の違いを単純化してしまうことには、常に慎重でありたいと思っています。

増田:
原さんは著書『日本庭園をめぐる デジタル・アーカイヴの可能性』のなかで、庭と庭園という言葉を使い分けています。

原:
教科書的に言えば、「庭」という感覚は、もともと土足で立ち入るような空間として存在していました。言葉自体は、『万葉集』や『古事記』にも登場します。もともとは儀式の場であったり、何かを行うための場所という意味合いで使われていました。つまり、「場」という感覚なんですよね。そこに、何かが起こるために設定された「場」です。「庭園」は “Garden” の訳語として、明治以降に使われ始めた言葉です。

増田:
例えば、「語りかける庭」のなかでは、古川さんが、「もみじを置くことによって裏の山との繋がりができる」と話すシーンがありました。囲われた空間でありながら、外との連続性が美学のなかにあるように感じました。

原:
日本の庭は、砂を敷いたり、石を立てたりと、外側に境界をつくるというよりも、内側から発生し、立ち上がっていく場なのではないかと思います。境界としても曖昧で、「ここからここまで」というより、「このあたり」という感覚に近いかもしれません。
ただ、認識の違いはあれど世界中に「庭」のような空間が存在しているということは、人類に共通する普遍的な性質があるのだと思っています。


古川さんが作庭した観音寺・斗籔庭(京都府福知山市、2024年)撮影:澤崎賢一
出典: 澤崎賢一note https://note.com/texsite/n/ne35450c3f8e2


Q2. 「語りかける庭」の制作背景

増田:
「動いている庭」(2016年)はジル・クレマンさんを取材したときの記録映像として残していたものを、恵比寿映像祭[註10] のタイミングで映画化されたと伺いました。これに続く「語りかける庭」(2024年)はどのような背景で制作しているのでしょうか。

澤崎賢一:
「動いている庭」の制作以降、継続して庭に関する映像制作をおこなっています。
「語りかける庭」[註11] は、2025年の展覧会[註12] を開催した際に公開した映像作品で、会場ではモニターを2台使い、インスタレーション形式で展示をおこないました。会場となった、京都の弘道館[註13] は庭と建物の空間も非常に魅力的な場所だったので、和室に座って映像と地続きでリアルな庭が視界に入ってくるような構成にしました。今日、こちらで見ていただいた映像は、上映用に1つにまとめたため、2画面となっています。

増田:
住職と古川さんが、互いを全否定したり掛け合ったりする、その関係性が構成ともよく合っていて面白かったです。
もう一つ、映像を見ていて思い出したのが、3D映像の源流にある「ステレオ写真」です。[註14] もちろん、数学的に角度によって立体視できるというのとは違うのですが、2面スクリーンでみせることで庭の石の向きによって見え方が変わったり、立体感を伴って現れてくる感じもあって、それが風景を解析しようとする姿勢にもみえて面白いなと思いました。


「語りかける庭」会場の様子(2025年、有斐斎弘道) 撮影:高野友実
出典: 澤崎賢一note https://note.com/texsite/n/ne35450c3f8e2

澤崎賢一:
「語りかける庭」は、山内朋樹さんが著書『庭のかたちが生まれるとき』(2023年、フィルムアート社)[註15] を出版された後に制作した映像です。山内さんの本には、庭園づくりのプロセスが、石の名前や庭に据えていく順番まで克明に記されています。まるで、庭ができていく感覚を本を読みながら体験できるような内容です。映像のなかで石を執拗に撮っているのは、こうした背景があったからです。僕も一つひとつ丁寧に石を撮ろうと思いました。

増田:
2016年に公開したドキュメンタリー映画『動いている庭』と「語りかける庭」はそれぞれどのように制作されたのでしょうか。

澤崎賢一:
「動いている庭」は、フランスのクレマンさんのもとを訪ねて、共に過ごした1日半ほどの時間を記録した映像です。「語りかける庭」は、観音寺(京都府福知山市)のご住職、古川さん、山内さんの3人が登場します。庭の見方のズレを通して、物事の見方を問う映像となっています。


Q3. 庭の作為性について

増田:
「語りかける庭」の映像のなかで、庭石には配置していくための指示として、「一石目」「二石目」といった符号が振られていて、形式的に整理されていました。
一方のクレマンさんは植物を主語にして語る。この両者の語り方には少し違う感覚があるように思いました。つまり、石を順番に置いていく際に数字で呼ぶことと、植物を主体として捉えること。どちらも自然を扱っているのだけれど、関係の結び方には微妙な差異がある。そのあたりにも、美学の違いが現れているのかもしれないと思うのですが、いかがでしょうか。

マレス:
クレマンさんは、とにかく生き物が大好きなんです。犬が通ったら、もう犬のほうにしか目がいかない。昆虫もそうですし、植物もそう。こうした感覚から哲学が生まれているのであって、根本には「生きているものって面白い」という、ある種の子どものようなワクワクした感覚がある。それはすごく感じます。しかも、動物と植物をあまり区別していないんですよね。動いているもの、生きているものに対する概念がとても広いんです。

増田:
古川さんは、庭をつくるうえで「作為性をなくす」ということについて話されていました。クレマンさんは庭に対して、「作者」という意識をどのようにもたれているのでしょうか。

マレス:
彼もやはり、著書のなかで何をもって庭の作者とするのか、また、それがどの時点で現れるのかということについて考えています。彼は、「その場にいる人こそが庭の作者であるべきだ」と述べています。つまり「誰もが作者になりうる」ということですね。
使っている言葉や方法論はまったく異なりますが、古川さんの考え方ともどこかで繋がっている部分があるのではないでしょうか。

増田:
あらためて、庭は本当に懐が深いなと感じました。半分は自然を求めているけれど、半分以上は人工的でもある。自然と人工がせめぎ合う場所ですよね。ただ、それがあまりに作為的に見えてしまうと台無しになってしまうし、かといって、自然に放っておけば完成するわけでもない。
庭は、建築やデザイン、彫刻、絵画、音楽といった既存の芸術ジャンルにはなかなか収まりきらないものだと思います。コントロールしきれない部分があり、作者もはっきりしない。その曖昧さのなかに、庭というものの根本的な面白さや難しさがあるのかなと感じました。


Q4. 「終わらない庭のアーカイブ」プロジェクト

増田:
最後に山口情報芸術センター[YCAM]とおこなった「Incomplete Niwa Archives 終らない庭のアーカイヴ(以下、INA)」プロジェクトについて伺います。
今回、アンビソニックス[註16] を用いた上演を体験して、庭の空間感覚がとてもよく伝わってきました。一方で興味深いのは、自然を愛でる庭に対して、かなり高度なテクノロジーを用いて記録・保存を行っている点です。もちろん、その意義は理解できるのですが、単純に「自然をそのまま保存する」という話でもない気がしています。そのあたりをどのように考えながらプロジェクトを進めているのでしょうか。

城:
YCAMは、メディアテクノロジーをどう文化と接続できるかというのを長年やってきたところで、いろいろな技術的な蓄積があるのですが、このプロジェクト(INA)に感しても、できるだけ多層的に記録してみることで、何か別の世界が見えてくるのではないかというテクニカルな興味は出発点の一つにありました。


原瑠璃彦+YCAM共同研究成果展示「Incomplete Niwa Archives—終らない庭のアーカイヴ」会場の様子
(2021年)山口情報芸術センター[YCAM]  撮影:山中慎太郎(Qsyum!)
 
増田:
「多層的」というお話がありましたが、実際、庭に立ったときの雰囲気というのは、視覚だけで説明できるものではないですよね。音もあるし、湿度もある。そうした経験すべてを完全に記録・保存することは、科学技術的にも到底不可能です。
だからこそ、とりあえず視覚芸術として捉えてみるとか、聴覚芸術として考えてみるとかある種、切り分けながら「庭」を扱っていくわけですが、INAにおける「多層的」というのは、そういう感覚に近いのでしょうか。

原:
(INAは)総合的なアーカイブであり、総合芸術でもあるのかもしれません。庭を「全部スキャンした」と言っても、それはある一瞬を切り取ったものにすぎません。実際にやってみることで、むしろ限界がどんどん見えてきます。ただ、それが結果的に次の技術の発達にもつながっていくのだと思います。
このプロジェクトは、庭をバーチャル化して「現地に行かなくてもいい」ということを目指しているわけではありません。むしろメディアを通すことで、現実の庭の体験をより豊かにしたい。メディアを介することで、逆に見えてくるものがあるんです。少し古典的な言い方ですが、「メディアを通して庭の無意識を知る」という言い方をしていたこともありました。撮影し、それを編集することで、事後的に初めて見えてくるものがある。庭の体験そのものは一つだけれど、その体験をどう豊かに享受できるか、ということを考えています。

増田:
新しい保存やアーカイブの形だと思います。

原:
庭にいる時の心地よさというのは、数えきれないほどの要素や同時に起きている現象を人が把握しきれないからこそ生まれているのだと思います。
単に情報を分析し、積み重ねていくだけでは、全体は捉えきれない。むしろ、その“つかみきれなさ”を含んだインターフェースをつくることが、今回のアーカイブの一つの着地点なのではないかと、徐々に感じるようになりました。
アーカイブというと、検索して調べるための便利なツールになりがちですが、今回はむしろ、合理性だけでは捉えきれないものにしたかったんです。もちろん、詳しく調べようと思えば調べられる。でも一方で、「ぼんやり眺めているだけ」でも心地いい。だから今回のWebアーカイブは、BGMやBGVにもなるように意識して作りました。



会場質疑

会場1:
映像の中で特に印象的だったのが、ジル・クレマンや庭師たちの「手つき」でした。もみじの葉をちぎったり、川辺の草をむしったりする動作には、一見すると荒っぽさも感じられるのですが、実際には庭全体の状態を見ながら行われている繊細なケアでもある。その感覚に強く惹かれました。
私はデザインや環境問題を研究していますが、近年は「物をつくる」というより、人間や自然を含めた「関係性をつくる」方向へと関心が移っています。今回の映像からは、庭づくりもまた、対象を支配するのではなく、関係性を結び直していく営みなのだと感じました。

古川三盛(庭師):
私たちが庭を見る時、「これはない方がいい、あれはあってもいい」というところはすぐに目に付きます。もみじの場合、あのような場所に生えて大きくなると困るわけです。栄養は枝先の方に行ってほしい。盆栽のようにハサミでチョキンとやるイメージがあるかもしれませんが、手で取れるものは手で取ります。切る時はハサミを使うより手の方がいいんです。ハサミだと切り口が鋭利になりますが、手で毟ると細胞と細胞の間で取れます。木にとってみれば、傷としては少なくて済む。だから、あの「むしる姿」が目に焼き付いたというのは、よくわかります。

会場2:
改めて、庭が「鑑賞物」なのかどうかが分からなくなってきました。
今日観た映像では、1年を通じてどう変化していくかという時間の経過の中で、庭との関係性が非常に密接なものとして描かれていました。私たちが普段、鑑賞者として1回きりの関係性で庭を見るのとは全く違います。そうなると、「誰もが作者である」という言葉をどう捉えればいいのでしょうか。

マレス:
ジル・クレマンさんの思想で言うと、庭の中に最初から通り道が決まっているわけではなく、人が通ったところが道になっていく。鑑賞者が無意識に歩くことで、足跡ができ、それが植物の成長に影響を与えます。公園などでも、冬から春にかけてたくさんの人が同じところを通ると、そこだけ植物が育たず、周りが成長していく。そうしていつの間にか視覚的に道ができる。いわゆる「獣道(けものみち)」と同じですね。それを狙っているのがジル・クレマンさんです。
鳥が糞をすることで種が運ばれたり、人の体に綿毛がついて落ちたり。そうやって知らず知らずのうちに、みんなが庭に関与している。足の裏にも必ず何かが付いてきて、種を運んでいる。みんなが何かを持ち込み、それが庭の一部になっていく。それが庭だという考え方です。

増田:
今の話は庭が「芸術かどうか」という話にも繋がりますね。関与した人みんなが作者だとしたら、観客は誰なのか。芸術作品であれば、完成されたものとして観客に提示されますが、庭の場合は鑑賞する人もいれば、そこで生活している人もいる。常に距離が違います。

原:
そこは「交代的」だと思うんです。どちらにもなり得る。

古川:
例えば、石庭などは完全に「見る」ためのものですが、生活の中にある庭は、持ち主は中に入って草を抜かなければならないし、花を植えたければ植えてもいい。

増田:
生活の視界の片隅に庭が入ることもあれば、正面から向き合うこともある。

会場:
だからこそ、庭に愛着を持って何度も通ったり、自分も積極的に関わって作っていくことが、一つの楽しみ方であり「作者」になる方法なのかなと思いました。


右から登壇者のエマニュエル・マレス、澤崎賢一、増田展大、城一裕、原瑠璃彦(敬称略) 
撮影:山中慎太郎(Qsyum!)


作庭家の古川三盛(ふるかわ・みつもり) 
撮影:山中慎太郎(Qsyum!)



【開 催 概 要】
上映とディスカッション 「動いている庭」から「語りかける庭」へ


日時|2026年4月2日
会場|九州大学大橋キャンパス音響特殊棟録音スタジオ

主催|庭園アーカイヴ・プロジェクト、九州大学芸術工学部音響設計コース音文化学講座

助成|科学研究費助成事業 基盤研究(B)「日本庭園の開かれた総合的デジタル・アーカイヴ実装のための研究開発」(研究代表者:原瑠璃彦)、挑戦的研究(開拓)「特異な音響空間内における音を知覚する体験の設計とその配信技術の開発」(研究代表者:城一裕)

協力|宗教法人 常栄寺、山口情報芸術センター[YCAM]



[註1] 「庭園アーカイヴ・プロジェクト」(2019年-)
現代のテクノロジーを用いて日本庭園のなるべく多くの側面を範疇に入れたデータを入手し、それらを総合した新しいアーカイブをウェブサイトとして公開することを目的[引用] として、2019年に原瑠璃彦を中心にスタートしたプロジェクト。初期メンバーは、城一裕、山口情報芸術センター[YCAM]スタッフほか。現在は、活動第三期へとして継続したリサーチ・制作がおこなわれている。
https://niwa-archives.org/

[註2] 「Incomplete Niwa Archives 終らない庭のアーカイヴ」
「庭園アーカイヴ・プロジェクト」(2019年-)の活動第I期に制作した、日本庭園の新しいアーカイヴとしてのウェブサイト。常栄寺(山口市)、無鄰菴(京都市)、龍源院(同)、HOUSE of HOSOO庭園(同)、浮月楼(静岡市)5つの庭園のアーカイヴが公開されている。
https://niwa-archives.org/archives/

[註3] 原瑠璃彦+YCAM共同研究成果展示「Incomplete Niwa Archives—終らない庭のアーカイヴ」
2021年10月8日(金)〜2022年1月30日(日)山口情報芸術センター[YCAM]

[註4] 『日本庭園をめぐる デジタル・アーカイヴの可能性』原瑠璃彦/著(2023年、ハヤカワ書房刊)城一裕「時間と空間の混じり合い、と「音」そのもの」(『建築情報学会白書2022-23』建築情報学会、2023年、46-50頁)

[註5] 城一裕「時間と空間の混じり合い、と「音」そのもの」(『建築情報学会白書2022-23』建築情報学会、2023年、46-50頁)

[註6]「Incomplete Niwa Archives— 終らない庭のアーカイヴ ーanechoic chamber version」展 
無響室における庭のアンビソニックス音源の上演
2024年11月1日、2日 会場|九州大学大橋キャンパス3号館1F無響室

[註7] 古川 三盛(ふるかわ・みつもり)
略歴:1943年、福岡県北九州市に生まれる。作庭家。北九州市・菅原清風園、京都・徳村造園に勤務ののち、1970年に独立。主に森蘊の作庭に従事。主な著書に『庭の憂』〔善本社、1997〕のほか、雑誌「庭」「銀華」「チルチンびと」など連載多数。

[註8] 第三風景
ジル・クレマンによる、人間に放置されたままの土地を指す概念。多様性をただ受け入れて生まれた風景[引用]

[註9] 通り庭
京町家に代表される玄関から奥の庭まで土間が貫通した通路状の空間

[註10] 《動いている庭》(2016年、85分/監督:澤崎賢一、製作:エマニュエル・マレス)
2016年に開催された第8回恵比寿映像祭のプレミア上映で初公開となった。恵比寿映像祭では開催年ごとにテーマを掲げているが、2016年のテーマは「動いている庭」となった。

[註11] 「語りかける庭」(2024年-、時間未定/監督:澤崎賢一、製作:エマニュエル・マレス)

[註12] 「語りかける庭」
2025年2月8日(土)〜11日(火・祝)
会場|有斐斎弘道館(ゆうひさい こうどうかん)京都府・京都市上京区
https://kodo-kan.com/events/katarikakeruniwa20250208/

[註13] 有斐斎 弘道館
江戸時代の儒者・皆川淇園(1734-1807)が創設した学問所。江戸以来の優れた数寄屋建築と庭園が継承されており、また、さまざまな文化活動に活用されている。(京都市上京区上長者町通新町東入ル元土御門町524-1)

[註14] ステレオ写真
両眼視差を利用して立体視を可能にする写真で、もともとは19世紀前半に発明された科学的実験装置

[註15] 『庭のかたちが生まれるとき 庭園の詩学と庭師の知恵』山内朋樹 /著(2023年、フィルムアート社)

[註16] アンビソニックス(Ambisonics)
音を360度空間的に再現する立体音響方式



[引用] ジル・クレマン連続講演会録『庭師と旅人 「動いている庭」から「第三風景」へ』(2025年、あいり出版 刊)
[引用] 『日本庭園をめぐる デジタル・アーカイヴの可能性』原瑠璃彦/著(2023年、ハヤカワ書房刊)



プロフィール|

Emmanuel Marès エマニュエル・マレス
1978年、フランス出身。京都工芸繊維大学博士後期課程修了、博士(学術)。専門は日本建築史・日本庭園史。現在は京都産業大学文化学部准教授、奈良文化財研究所客員研究員。日本庭園史学の研究を通して、日仏の文化の交流に尽力している。主な著書に『縁側から庭へ』(あいり出版)、編著に『庭師と旅人「動いている庭」から「第三風景」へ』(あいり出版)、共編に『森蘊の世界ー奈良・平安の庭を求めて』(奈良文化財研究所)など。

澤崎 賢一 さわざき・けんいち
1978年生。アーティスト・映像作家。総合地球環境学研究所 特任助教。京都市立芸術大学大学院 博士(美術)。主な展示・作品に、展覧会《見えん さかい目》(HIMOTOKUSABI、高《すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー》(金沢21世紀美術館、2024-25)、映画『#まなざしのかたち ヤングムスリムの窓』(43分41秒、2023、マダニ国際映画祭プレミア上映)、映画『#まなざしのかたち』(124分、2021、東京ドキュメンタリー映画祭プレミア上映)など。

城一裕 じょう・かずひろ
1977年福島県生まれ。九州大学大学院芸術工学研究院音文化学講座准教授。博士(芸術工学)。専門はメディア・アート。音響学とインタラクション・デザインを背景とした現在の主なプロジェクトには、音の再生の物質的・歴史的な基盤を実践を通じて再考する「Life in the Groove」、参加型の音楽の実践である「The SINE WAVE ORCHESTRA」、音・文字・グラフィックの関係性を考える「phono/graph」などがある。メディア・テクノロジーから生まれる音の可能性を探るイベントfreqを定期的に開催。

増田展大 ますだ・のぶひろ
1984年京都府生まれ。九州大学大学院芸術工学研究院准教授。博士(文学)。専門は美学・芸術学、写真史・映像メディア論。主な著書に『科学者の網膜──身体をめぐる映像技術論:1880-1910』(青弓社、2017 年、第9回表象文化論学会賞受賞)、『クリティカルワード メディア論』(共編著、フィルムアート社、2021 年)などがある。

原 瑠璃彦 はら・るりひこ
1988年生。静岡大学人文社会科学部准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は日本の庭園、能・狂言。主な著書に『洲浜論』(作品社)、 『日本庭園をめぐる――デジタル・アーカイヴの可能性』(ハヤカワ新書)など。『洲浜論』にて令和5年度(第74回)芸術選奨文部科学大臣新人賞、第15回表象文化論学会賞奨励賞受賞。

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