芸術工学部・大学院について

研究院長からのメッセージ

高次のデザイナーを育成する

2003年10月に九州大学との統合を迎えた九州芸術工科大学は、1968年に全国で初めて「芸術工学部」を有する国立大学として開学しました。教育研究の理念である「技術の人間化」は統合後も踏襲され、その意味するところは時代とともに変わってきました。開学当時の昭和40年代は、高度成長の最中明るい未来を期待する一方で公害による環境汚染を引き起こし、生態系を変えたり多くの人々に病気をもたらしたりもしました。そういう中で、技術のあり方を人―環境系の立場から考えることのできるプロデューザー的人材として,高次のデザイナーを育成する必要がでてきたのです。現在はその公害も少なくなりました。これも技術の進歩のお陰です。科学技術の進展は長寿を可能とし、またエアコン完備の住まい、テレビ・音楽・インターネット・財布など多機能を集約した携帯電話は私たちのくらしを便利にしてくれています。

しかし私たち生物としてのヒトは本来狩猟採集時代の厳しい環境で生き抜くだけの資質を獲得してきたのに、飽食による生活習慣病、運動不足による足腰の脆弱化、屋内外の温度差によるヒートショック、夜間照明による睡眠不足や生体リズムのズレ、あるいはそれに起因する鬱などを引き起こしているのも事実です。このような潜在的な問題も含めて地球環境や人の幸せを見つめながら技術のあり方を示し、その思想をもってアイデアを実現するのもデザイナーの役割です。


その役割を果たすために、人文・社会科学から科学技術にわたる幅広い知識と論理性、また芸術的感性と倫理性を備え、その上で目的を達成するための様々な智慧を発揮できる設計家、すなわち高次のデザイナーを育成する必要があります。 九州大学芸術工学部及び大学院芸術工学府にはそれらを可能にするカリキュラム、先進的教育研究スタッフ、そして先端的な施設が揃っています。

ミッシングテクニシャンという人材

芸術工学という名称は、単に芸術と工学の二つの単語を並べたものではなく、芸術工学という全く新しい学問分野を示すものです。開学当時この理念を実践できる専門家は世に不在といわれ、ミッシングテクニシャンと呼ばれていました。未だに発見されていないヒトとサルの共通の先祖をミッシングリンクと呼び、未知の存在という意味を表しています。あれから 45年、芸術工学を学んだ学生達は試行錯誤しつつもやがてミッシングテクニシャンとして育ち、社会において独自の芸術工学を展開しつつ大いに活躍しています。技術が加速的に進展する混沌とした 21世紀において真に人間性豊かな生活環境を創成するには、夢を持ちさらにチャレンジ精神旺盛な若い皆さんが必要です。心からお待ちしています。