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【芸工生のNews&Story】VANITAS 現代美術と写真にみる「はかなさ」のイメージ

未来共生デザイン部門の結城円准教授がメンバーとして現代美術や写真の研究を行うVANITAS(ヴァニタス)研究会が開催した、講演+音楽演劇「VANITAS  現代美術と写真にみる『はかなさ』のイメージ」について、芸術工学府音響設計コース修士1年 久住香奈さんがお伝えします。



9月29日(金)、福岡市美術館でVANITASの公演が行われました。音響設計コースのゼミソン・ダリル助教が作曲・演出を担当したこともあり、大橋キャンパスではVANITASのチラシをよくお見かけしていました。ついに、現代美術、映像、音楽が一体となった一種の音楽演劇が上演されたのです。

写真にあるように、3人の演奏家がステージに立ち、それぞれ異なる楽器を演奏されていました。左の方から笙(しょう)と竿(う)、ヴィオラ、チェロをそれぞれ用いてゼミソン先生が作曲された曲を演奏し、「VANITAS」というテーマを表現されていました。ヴィオラ奏者は弦を弾きながら演奏し、またチェロ奏者はドアの引き手を想起するような音を奏でていました。演奏中にスクリーンでは神道、川、海の中などの映像がモノクロで映し出され、より儚さを際立たせていました。

公演後、ドイツ・ブラウンシュヴァイク芸術大学のヴィクトリア・フォン・フレミング教授から「VANITAS」の解説をしていただき、同時に日本語への通訳も行われました。ところで「VANITAS」の意味をご存知でしょうか。これはラテン語で、儚さや虚無を意味する言葉です。公演では、音が自然に消えていくように、「はかなさ」を音で表現しているのです。

そもそも西洋文化の歴史において、儚さにポジティブなイメージはありませんでした。VANITASのモチーフを用いていた人たちは、儚さを無力感、絶望感、諦めなどと結びつけようとしていました。このモチーフは旧約聖書に記載があり、現在が過去を繰り返し、未来が現在の単なる繰り返しになることは神の意志であり計画であると書かれています。一方で、何事にも正しい時があるという暗示もあります。その瞬間に気づくことができれば、「VANITAS」にはほんの少し肯定的な意味が含まれているようにも思うことができます。

死に対する不安というのは、信仰の分裂などよりも、救われない、これ以上良くなることはないなどと感じた時に煽られます。現代において、エイズ、ガン、新型コロナウイルスなどの感染症は、医学の限界を示しました。啓蒙主義の始まりとともに作られた、理性に基づく進歩志向という生き方のモデルは失敗に終わり、私たちはその後の廃墟を目の当たりにしているのです。

西洋的な進歩や生のモデルの核にある「はかなさ」は、可能な限り長く幸せな人生を約束するということがあります。しかし、それはシャボン玉のようにパンと割れてしまうような空虚な約束なのです。これは、儚さだけでなく、人間の営みの無益さ、無意味さを反映しています。

この記事を通して、VANITASの現代美術について少しでも知っていただければ幸いです。

<Writerについて>
久住 香奈
私は九州大学大学院芸術工学府音響設計コース修士一年です。
卒業後のデンマーク留学のため英語とデンマーク語を勉強しています。芸工サポーターになってから、さまざまな留学生たちとの交流を楽しんでいます。もし何か言語の問題でお困りでしたらお声掛けください。わたしが通訳します!

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