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シリーズ演奏会「音楽と非人間」第6回:伊佐治 哲大(チェンバロ)

九州大学芸術工学部では、シリーズ演奏会「音楽と非人間」の第6回を以下のとおり開催します。
一般の方もご参加いただけますので、みなさまのお越しをお待ちしております。

開催日時:2025年2月24日(月・祝)16:00開演

会場九州大学大橋キャンパス 音響特殊棟録音スタジオ

お申し込み:参加ご希望の方は、下記Peatixイベントページより事前にお申込み下さい。

入場:無料(50名限定)

プログラム
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685年 – 1750年):『平均律クラヴィーア曲集』第1巻より抜粋
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685年 – 1750年):『イギリス組曲』第6番 ニ短調 BWV 811
伊佐治 哲大(1997年 –):即興
フランソワ・クープラン(1668年 – 1733年):『クラヴサン曲集』第2巻より「ベルサン」、「神秘的なバリケード」
※アフタートークなし

コンサート・コンセプト
18世紀ヨーロッパ。この時代の思想家達は『人間』であることをどのように考えていたのだろうか。それをチェンバロという楽器を通して考察すると興味深い。この時代はチェンバロにとって、最盛期であり終焉の時でもあった。啓蒙思想家や科学者たちの一部、例えばDenis Diderotはチェンバロを『人間の鏡』であると定義づけ、それが人間の『エスプリ(魂)』を体現するものと考えた。チェンバロの外箱は人間の『身体』であり、弦はその『神経・筋肉』。『エスプリ(魂)』は外箱(身体)と弦『神経・筋肉』の共鳴が生み出す音と捉えた。言い換えると、人間性そのものは「非人間的」な要素の共鳴から発生するものであったのだ。この楽器とその弾き手が「一心同体」になると人間でも楽器でもないケンタウロスの様な不思議なハイブリッドに変化する感覚を覚えることもある。当時の弾き手や作曲家はチェンバロを通し「人間の領域」を越えようとしていたのは確かだ。チェンバロは、バッハの手によって音楽を通した信仰を体現する道具と化し、ラモー、クープランの場合は言葉にしようがない物質的な世界を超えたフェノメナを描くキャンヴァスであったのだ。ある観点からすると、チェンバロは18世紀の家具の一つでしかなかったのかもしれないが、見方を少し変えるとこの楽器は人間の世界を超えた異次元へのポータルとして重宝されていたように思える。言葉にし難いが、このリサイタルはチェンバロを通してまず過去の人間との対話、そしてその彼らが探し求めていた異次元との接触を試みる。

シリーズ・コンセプト
今年度の「音楽と非人間」というコンサートシリーズは、3年間の研究プロジェクトの一環で、前近代的で非西洋的な存在論に根差した日本の哲学と美学を基にして、人間の音と非人間の音の関係を新たな視点から解釈します。
作曲家たちは自然や精神的な要素との関わりを探求し、前近代の哲学や能楽の作品からインスピレーションを得ています。自然からのインスピレーションやフィールドレコーディング、伝統楽器を用いた現代音楽が交差し、不安定な時代において音楽を創り、聴き、共有する、(そして議論する)意味のある方法を定めていきます。

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